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精神病みすぎて空気飲んじゃって屁が止まらん。呑気症←new!!

じゃ冒頭でBGM指定しましょ!
チェケラ!


さてさて、4本目の記事になります。
今週400字詰めの原稿用紙40枚以上書いてますよ。軽く短編小説と同じ分量。うへー。

ぶくぶく空気飲んで、泡吹いてるおばさんです。
金曜日から時間がずれちゃって、寝れんくていつも以上に空気飲んでる。屁がとまらん。ぶーぶーぶーぶーでかいのをこき続けてます。

私、精神病んでるんですが、薬始めてから空気飲んでるなぁという実感が…
これ症状であるんですかね?
ぶくぶく口からも泡吹くし、屁はぶーぶー止まらないし、げっぷはなんか楽になりたくてわざとしてますね。お腹はずっとぱんぱんな感覚。自然に出るげっぷすると一口ゲロも出る。
一人暮らしなんですが、文字通り部屋では独りなんでね。げっぷも屁も、出そうと思ってしてる感じです。人といる時に、うー我慢できねーって感じでもないんですよ。そういうこともあるけれども。
これ精神疾患の症状なんかな?
と思って、初めて検索してみました。

なんと!
名前がついていた。
呑気症、もしくは空気嚥下症だそうです。何でも病名ついてるなーすげーな。
なんと8人に1人なる、って本当かよ。嘘だろ。聞いたことねーよ。重症だと抗うつ剤、抗不安剤だってよ!全く、なんでも抗不安剤かよ。
あんなー!抗不安剤飲み過ぎると、震えが止まらなくなるんだよ。ガチで。アル中よりずっと酷いんだって。ガタガタ足も手も震えて、精神科の医者にどうしたの?って聞かれる位酷かったんだよ。どうしたの?っておめーの出した処方箋飲んでただけだよ!
医者の待ち時間もそわそわして待てなかったんだ。
半年かけて薬抜いて、やっと止まったんだよ。まじで大変だったんだ。もう抗不安剤やだよ。勘弁してくれよ。いまだに緊張すると足震えるんだよ。もうマジで嫌だよ。

そういえば、私はまだ誰も氷食症って言ってない時から氷食症の自覚症状があった。
すげー痩せてたというわけではないけど、それなりに細かったありし日、献血に行くと
「余裕のある方から頂いてますので…」
は?あたし余裕ないんかい?!!
なんかあれ追い返すマニュアルでもあるんか?!
揃いも揃って、毎回
「余裕のある方から頂いてますので…」
って、結構意を決して、血液検査受けてるのに追い返される。
まあ、貧血という事みたいだった。
10代から28で子どもを産むまで、まーガリガリガリガリ、氷を食べ続けていた。アイスクリームではなく、無味無臭の氷が欲しいのである。
特に好きなのはマックの氷だった。マックに行くと飲み物の他に、氷だけもらったものだ。
むしろ、氷を食べにマックに行っていた節がある。氷食症が全くなくなった今、マックにも全く行かなくなった。年単位で行ってない。たまに食べたいなと思ってメニュー見るけど、メニュー見ただけで満足してしまって食べに行かない。大体そうなのだか、メニュー見て何を食べるか真剣にシュミレーションしたら、食べたい欲のピークを超えてどうでもよくなる。それを超えて食べたいものは食べるまで、ずっーと思い続けている。一途なのだ。
そんなことはどうでもよくて、10代の頃、インターネットもまだない時代、氷食症なんて言葉はなかった。今、氷食症って言葉、聞いたことありますよね?そんな単語を知る由もなかった私は、ガリガリガリガリ氷を毎日食べ続けていた。コンビニのプラカップに入った氷売ってるの知ってますか?あれ、発売されたとき歓喜でしたよ。袋の氷は流石に多いし、ガリガリやるには氷が大きい。カップの氷は小さくてガリガリしやすいサイズだったし、物を冷やす為ではなく、氷を食べる為だけに買ってましたよ。
太ってすっかり治りました!多分貧血も治ったのでしょう。でも献血にはいけません。服薬してるので…
氷食症も時代の最先端を行く女なんです!

そういえば小学校4年の時、太ももにガチガチの脂肪の塊があることに気が付きました。はい、セルライト!って得意気に言った人います?セルライトって言葉も当時なかったんですよ。本当に。最初オレンジピールなんとかって名称が出てきて、直後にセラシーンだったかな…ピンクの箱に入った、なんかセルライトを解消するとかいう錠剤が流行して、それと同時にセルライトって言葉が一世を風靡したんですよ。
あっあった。販売中止してた。


それまではそんな言葉存在しなくて、言葉が存在しないってことは症状も言われてなかったんですよ。私も中学生ながら、4000円位する箱を購入しまして飲みましたよ。飲んでマッサージしましたがね、全く効きませんでしたよ。


そういえば、冒頭の精神疾患ですけどね、それも最先端でしたよ。18年位前ですかね。双極性感情障害のII型って診断受けましたよ。鬱病じゃなくて。これね、今普通に診断されますけど、マジで初めて聞きました。自分が診断されて、意味がわからなくてかなり調べたんですが、本当に情報がなくてね。一般書だと何冊かちょっとだけ載ってる本があるだけでしたね。これ詳しく説明できます。

まず双極性感情障害のI型です。

これいわゆる躁鬱病ですね。
躁と鬱が交互にくる。わかりやすいですね。

そして、私の双極性感情障害のII型です。

図にするとこんな感じですね。
基本が鬱状態なんです。それが心電図のようにピコンとほんのちょっと躁に触れてガクンと鬱になって、また鬱状態が続く。

わかりやすいように追記しました。
とにかくまあ、この緑のポイントがきつい。
医者もこの緑を起こさせないようにします。緑の前には、軽躁が必ずあるわけです。だからとにかく躁に触れさせないようにする。低め安定を目指します。つまりピンクのラインでずーっと行かせようとするわけです。
まぁこれが不快なんですわ。だって鬱状態に縛りつけにされるわけですから、まぁきつい。
そんなわけで、医者は私に抗うつ剤はぜーったいに処方しません。医者はこの15年で3人変わったんですがね、それぞれ頼んでみましたよ。抗うつ剤を試してみたいと。首を縦に振る医者は1人もいません。I型なら抗うつ剤処方されるんですよ。だって、鬱にならないようにしたらいいんですから、躁転されたままにすればいい。
II型の場合は、とにかく低め安定。マジでこの治療方針がきつい。本当にきつい。抗不安剤が処方されるのですが、飲んだところで、低め安定な訳です。飲んだところで鬱状態。まじて気持ち悪い。本当に不快。
でもまぁ、サイクルはわかりましたよ。とにかく躁転しなければいい。躁転さえしなければどん底に落ち込むこともない。
私も急性期がありましてね。抗不安剤が手放せない状態が続きました。飲んでも飲んでもだめ。量は限界MAX、種類も増える増える。多剤治療の極みでしたね。それを18年続けてきて身体が限界に達したわけです。冒頭の震えの症状ですね。まぁびっくりする程、がたがた震えました。飲まないと余計に震える。震え止めの薬も飲む。まぁ悪循環でしたわ。医者に「そんなに震えてどうしたの?」って言われて、「入院中に震えてる高齢者見たでしょ?それなんだよね」って言われて、薬の量変わらず、震え止めが更に増えたんです。
もーいかん。と。これはいかんと。人生終わると思いました。別に終わる事は、いいんです。バッサリ終わってくれれば。でもね、まぁ逝けないですわ。人に迷惑かけないで、逝くって本当にできない。本気で、逝くことに向き合ってきたんですよ。ずっと。逝けなかった。私は腕にも足にもイカ焼き(いわゆるためらい傷)もないですよ。綺麗なもんです。ただの一度もやった事ありません。未遂するくらいなら、一度で逝けよ、未遂はダサいって中学で思ったんです。自傷行為をしたい欲が出た時には、この、未遂はダサいと強く思って我慢しました。耐え抜きました。
私ね、多分子どもの時から精神病。睡眠障害は小学校低学年からですね。希死念慮は4歳からの付き合い。結構でしょ?希死念慮がはじめてきた時のことよく覚えてるんです。生涯最初の記憶と言ってもいいくらい鮮明に。家の端にあるでかい鏡の前でね、自分ここにいらないわーって思ったんです。漫然と、しかし鮮明に。で、消えようかって思ったんです。強く。でも直後の春休みに大きな旅行に行く事が決まってて、まぁそれ行ってからでいいか。って先送りしたんです。その旅行が4歳の時だった事が残ってるので、4歳とはっきり言えるんですよ。まぁ先送りしなければよかった。当時から父親に結構激しめの暴行受けてましてね。事あるごとに、私だけボコボコですよ。なんで怒られたのか覚えてないんですが、何度も徹底的にやられたの覚えてますね。2個下に弟がいたんですが、扱いが明らか違いましたね。私にとっても弟は、本能的に守らなきゃいけない存在でしたし、健気なもんですね。
28で子を持つのですが、子が4歳の時に思いました。子どもってなんて脆い存在なんだろう…と。なんて儚くて脆い存在なんだろうって。こんなに愛おしくて、儚くて、脆い存在の子に、何であそこまで酷になれたんだろう…って。
父親の境遇にも、今となっては同情する部分はありますよ。でもね、全く、まっっっったく理解できなかった。あそこまで脆い存在の子どもに、あそこまで酷になれた理由がわからなかった。
よくね、子ども産んだら親の苦労が分かるっていうじゃないですか、育ての苦労が分かるって。私は逆でしたね。真逆だった。全く理解できなかった。

いつもの通り脱線しましたけどね、そういう訳で、精神疾患の診断も最先端でした。今、私と同じ診断下る人多いそうですね。本もたんと出てます。いいですね、資料がいっぱいあって。ネットで検索しても、いっぱい資料がある。いい世の中ですね。
そうね、今年の夏くらいに、これはいかんと薬飲むの一切やめたんです。睡眠導入に使ってるの一種類を残して。睡眠導入剤何種類か変遷して、結局太る要素ある、抗不安剤にどうしてもなっちゃったんですがね…。

病歴も長くて、診断されてからも長くて、サイクルもわかった、治療方針も完全に理解した。あとなんか精神的に、底を抜ける感覚があってね。色々断捨離しました。気持ちの断捨離。生活習慣をバッサリ変えて、ずっと吸い続けてたタバコもやめました。まぁそんな感じです。

順番に振り返ると、セルライトを名前がない時に発見した。名前がない時から氷をガリガリ食べて、氷食症の最先端だった。精神疾患も、当時めちゃくちゃ診断が珍しい双極性感情障害のII型だった。
そしていま、呑気症←new!!ですね。
これ次に来ますよ。いいですかこの原稿用紙10枚分最後まで読んでくれたアナタ!覚えて帰ってください。次来るのは呑気症だ!

あー呑気なもんだ。
カネコアヤノは何曲聴けましたか?


続きの記事を大分後に2つ書きました!
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