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カサンドラ症候群に気付くまで-母⑤~小学校卒業~

地獄の小学校生活もなんとか終わりの日が近づいていた。

卒業アルバムの個人写真撮影の日。
学校で笑顔になることは少なくなっていたが、
卒業アルバムは母も見ることになるのでしっかり笑顔を作らなきゃ、と必死に笑ったことをよく覚えている。
今見ても、可哀想なくらい頑張って笑っている。
良い思い出はほとんどないから
卒業アルバムは今でもあまり見たくない。

やっと卒業式の日を迎えた。
やっと学校に行かなくて済む、バイキン扱いが終わる、そう思うのと同時に、卒業式は母が観にくるということが怖くてたまらなかった。

バイキン扱いされているところを見られたらどうしよう。

そればっかり考えていた。
せっかく1年半隠し通してきたのだから、最後の最後にバレたくない。
担任を嫌っていることもバレないようにしなくては。
母に怒られないようにしなくては。

緊張の一日が始まった。

卒業式ではピアノ伴奏を担当していた。
母親はきっと自慢げに見ていただろう。

1人1人、スピーチをする時間があった。
小学校の思い出を語る生徒が大半の中、私は将来の夢を語った。
母はそれも、自慢げに見ていたと思う。

練習通りの卒業式が終わり、教室に戻る。
意外なことに、いじめっ子達が大人しかった。

そうか、みんなのお母さんも来ているから
いじめることができないんだ

自分の母がいることは緊張したが
他の子の母は毎日来てくれれば良かったのに
と思った。

全ての内容が終わり皆んなで校門へ向かった。
小学校ラストの写真は、担任を囲っての写真撮影だ。
その写真は卒業アルバムに載っているが
私の顔はかなり引き攣り笑いをしている。


やっと終わった


この一年半があってから
人の気持ちを考えるようになっていた。
相手の悲しみを理解しようと
相手の話を聞いてみようと
できる限り、寄り添える人になろうと

そんなふうに思っていた。


中学校は小学校の近くの市立中学校へ進学。
約半数は小学校と同じメンバーだが、
市内の別の小学校の卒業生も進学するため
半分は新しい同級生だった。

クラスに初めて会う生徒がたくさんいる。
小学校でいじめてきた生徒もいる。
私は小学校の友達とはほとんど喋ることなく、
新しい友達と仲良くなることができた。
ただ、男子とは全く話せなかった。

でもほぼ女子だけの部活に入部して、
それはそれは楽しくて、学校の楽しさを久しぶりに感じた。

そんなある時、私をいじめていた男子が
新しく友達になった同級生にこう言ってるところを目撃した

「アサはバイキン扱いされてるんだよ!」

私は頭が真っ白になった。
いじめっ子が増えてしまう。
またあの日々が始まってしまう。
すごく怖かった。

でもそれを聞いた男子生徒はこう返していた。

「え?なんで?可哀想じゃん」


嬉しかった。
心の中で泣いた。

その日から、バイキン扱いする人はほとんどいなくなった。

1人だけ、しつこくバイキン扱いしてくるやつがいた。
Kという男子生徒だ。
最初からずっといじめの主犯格で、バレーボールの時も、給食当番の時も、Kの行動が1番ひどかった。
中学校ですれ違う時も距離をとったり
相変わらずだった。

でもそのKは夏頃から登校拒否になった。
きっと小学校の頃から色々な事情があったのだろうと察するけれど、学校に現れることがなくなってからは天国だった。
ひどいことをする人にはバチがあたるんだ
そう思った。

正直、嬉しかった。

こうして私へのバイキン扱いは完全に終結した。
小学校の友達とは今でも縁がない。
同窓会に誘われても断っている。

ただ一度だけ、同窓会に行ったことがある。
4年生の時に転校した友達が帰省するので
みんなで集まろうと誘われたのだ。
その子とは仲が良かったし、いじめの前だったから私も会いたいと思った。
その子に会えたら帰ろうと思って
参加したのだ。

20人ほど参加していただろうか

その中にはもちろん元いじめっ子もいた。
気分が重かったが、会いたい子には会えたので会計をして先に帰ろうと思った。
じゃぁ帰るね、とひと言言ってレジに向かった。

その時、1人の男子生徒がついてくるのを感じた。
幼馴染のAだった。
私の最初の記憶にも残っている、よく遊んでいた同級生だ。
好きな人を聞かれ、最初に答えた人でもあった。
その人にバイキン扱いをされて
とても苦しかった。

私が帰ろうとした時、声をかけられた。

「アサ、小学校の時は本当にごめん。みんなからからかわれて、恥ずかしくなったんだ。本当にごめん」

私は泣きそうだった

謝られて嬉しいからではない

今更言われたって、何も変わらない。

変わるとすれば

Aの気持ちがスッキリすることだけだ。

ひどい仕打ちだなと思った。

いい子な私はこう返した

「昔のことだから」

同窓会に行かなければ良かった

と、また後悔した。

結局母には全くバレなかった。
一度も相談することはなかった。

母が思い描くような
聞き分けのいい良い子を
小学生の時も貫いた。

私は将来の夢ができた。

『お母さんになること』

ただお母さんになるわけではない。

子供の心に寄り添える
子供の話を大切にする
相談しやすい母になりたい

12歳の私にできた夢だった。

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