ごはんをつくるということ
束の間の解放DAYSが終わり、食事作りに追われている。
ご飯を用意するということは米の炊ける時間、量を計算し、食材の買い出し、冷蔵庫の中身の把握、賞味期限の把握、めちゃくちゃ頭を使うし時間に追われる原因の一つだと思う。
前回の癇癪と結びづけても子どもがぐずって困る時間はご飯作りの時間だし、ぐずるのもたいていご飯作りの時間だ。
かつては一汁三菜なるものを目指していたし、昔ほど惣菜もなかったのか高かったのかは思い出せないがおかずも作っていた。
今でももちろんつくるけど、鍋や野菜炒めの多様なバリエーションや惣菜の活用、お弁当はもっぱら冷凍食品に助けられている。
それでもやっぱりご飯作りがしんどいと思うのだ。
解放DAYSから帰宅して、スーパーで便利食品を買い込んだ。
思えばコロナ禍になりレトルト的な食材をたくさん買い、それを消費していた期間、ストレスが軽減されていた。
栄養のあるご飯、母の手作りご飯は確かに大切とは思うけど、母が笑ってることの方がより一層大切なのではないだろうか…
我が家には外食という選択肢がほぼないから多少割高になったとしても世の中の便利食品を作っている方々に助けてもらおうと思った。
不思議な事で産後ケアで一度だけ料理をヘルパーさんに作ってもらったのだけど家族のウケがとても悪かった(私は大変助かったし感謝している)
だけど私が温めたレトルトには誰も不満を言わない。
これを喜ぶのが良いのかはよくわからないのだけど、やっぱり私は常に8割以下の力で動いて残りの2割のパワーが常に残ってないとうまく自分を活かしきれない。
さぁ頑張ろう。
頑張らないことを頑張ろう
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