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南無阿弥陀仏とナマステ

クリスマスに不幸があり仏式の葬儀に出席しました。

南無阿弥陀仏とナマステの意味が同じというような事を初めて知ったのと

葬儀中に亡くなった故人だけではなく(もちろんなくなった故人のことも心の中で考えてはいましたが)、先に亡くなっている故人の親族を思い出しました。

単純に自分が親しかったからというのもあるけど、会いにきたのかな〜なんて思ったり。

地上で仲良くできなかった魂は空の上でも反発するのだろうか?それとも空の上ではハッピーなんだろうか?安らかに眠るのか、天国で幸せに暮らすのか、はたまた生まれ変わるのか。。。?

何にせよ生きてる世界と死後の世界には明確なボーダーがあるけれど、生きることは死ぬことで、産まれるのも死ぬのも自分で決められる事ではない。人生は選択肢の連続だけど産まれることと死ぬ事は選べないとか色々考えていました。

ただ、90過ぎてから送り出すのと50代やましてや親より先に…というパターンでは気持ちが全然違うなと思います。

10代の頃、ほぼほぼ誰の葬儀(親族)にも出たことがなく、線香すらわからなかったけどそこから数十年経つとやはりそういう経験が増えてしまうもので、タイミングや状況など色々思ってしまいます。

だけど祖父母に関しては産まれる前にすでに居なくて一度も会えないという場合ももちろんあるので、いなくなる寂しさを知れる事は幸せでもあると思います。

父にしろ祖父母にしろ居なければ自分が居ない存在なので感謝の気持ちが1番です。

ありがとうございました。

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