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Bruno di Belloの光が描く線の展示を鑑賞する

とある会社帰り、Bruno di Belloという故人のアーティストの書庫に見学に行った。
実際に展示されていた作品は、氏のものと、説明をしてくださった女性のお姉さん、つまり氏の娘のものの両方あり、この書庫が家族経営のために色々と混ざってはいるようだが、それでも、視点が面白いものがあったので、紹介しておこうと思う。


Bruno Di Bello (Torre del Greco, 1938年5月10日 - Milano, 2019年3月5日)はイタリアの画家、写真家で、メック・アート(※)の提唱者である。

※メック・アート(Mec-Art)
批評家Pierre Restanyによって1960年代後半にフランス、後にイタリアで展開された芸術運動。
メカニカル・アートの略語であるこの言葉は、イメージの複製、特に写真の複製という機械的なプロセスに依存する芸術を示し、大衆紙から取り入れた要素を好んで使用する。

Wikipediaより

①シリーズSegni di Luce(訳: 光りの線)


まずは、懐中電灯の光で感度の高いキャンバスに直接描いて作成された作品群からいこう。

Segni di luce(訳: 光りの線) 1977年
Segni di luce di quadro in quadro(訳: 絵画から絵画への光りの線) 1977年
Grande scrittura ed altri segni(訳: 大きな文字とその他のサイン) 1979年

②シリーズLucciole(訳: 蛍)

こちらは娘のPaolaさんのシリーズで、懐中電灯の代わりに蛍を放ち、自然の光をキャンバスに写し取ったものだそうだ。
近景をご覧いただくと、線の両脇に丸い輪がたくさん写っているのが見えると思うが、それらは、蛍が足を休めていた際にできた跡なのだそうだ。
蛍には、「Hey、君、ちょっと蛍って漢字に飛んでくれよ」とは言えないから、出来栄えは蓋を開けてのお楽しみだったと思うが、それにしても、1作目などは、何となく虫という漢字に見えなくもない気がする。

Lucciole(訳: 蛍) 1977年
近景①
近景②
Lucciole(訳: 蛍) 1988-91年
近景
こんな作品を作りましたよ、というのをA3の用紙にプリントしたもの。
配布はされていなかったので、写真を一枚

③シリーズParole Scomposte(訳: バラバラな言葉)

写真キャンバスに言葉やコンセプトを登場させ、それらを分解し、再び組み立てることで、意味の喪失と再発見のゲームを生んでいる1970年代初頭の作品。展示されていたのは2点のみだったので、両方載せておこう。

Procedimento(訳: 手続き) 1974年
無題

ついでに、シリーズ名がわからないが、オフィスに飾ってあった作品も撮影したので、載せておこう。
恐らくは1980年代の「光源とキャンバスの間に人物や物体を並置し、その影をキャンバスに投影する」というグループに属する作品だと思う。

初夏になるとたまに、友達と蛍を見に郊外の公園へ行く。
鬱蒼と生い茂る木々の薄暗い合間から見える細々とした明かりが、夜の闇が深くなるにつれて色濃く輝きだすさまを、Paolaさんの作品を見ていて自然と思い浮かべることになった。
「今年もまた蛍を見に行こうかな、しかしまずは桜だよな」と、雨がしとしと降る夕暮れ時、水たまりに反射する家並みの灯りをぼんやりと眺めながら、一人家路を急いだ。


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