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「閾値」を様々なかたちで表現したSilvio Wolfの作品を鑑賞する

先日、5日間に渡り、ミラノ市内と近郊でアートに関するイベントがあった。ここ数年、イベント会期中には、普段は見学できない場所(時間制限や特別な機会にしか一般公開されない)を中心に数か所巡っているが、今回は、おかげさまで繁忙期が長引き、あと1か月は忙しいため、体力温存のためにむやみやらに巡るのは止そうと決め、予約制の場所を厳選して訪れることにした。

初日に訪れたのは、Silvio Wolfというミラノ生まれのアーティストのオフィスである。


Silvio Wolf(1952-, Milano)
ミラノとニューヨークを拠点に活動。イタリアで哲学と心理学を、ロンドンで写真と視覚芸術を学ぶ。
サイトスペシフィックなインスタレーションやレンズを使ったアートで知られるアーティストで、静止画、動画、プロジェクション、光、サウンドを単独で、あるいは組み合わせて使用し、その場所の特異性や歴史に関わるマルチメディアやパブリック・アートのインスタレーションを制作している。
鑑賞者に、過去と現在、ここと他の場所、時間と空間の閾値と共存を同時に知覚させる作品を制作している。

本人のHPより抜粋


今回のイベントでは、「Museo Segreto(訳: 秘密の美術館)」というお題が出されている。それに沿えるアーティストについては、このイベントのために制作した作品、亡くなったアーティストについては、本邦初公開の作品を資料館でセレクト・展示しており、これにより私たち鑑賞者は、"素敵な試みだな、得をしたな"という満足感を得ることができた。
このアーティストも、特別な作品を用意していたので、そちらはもったいぶって最後に紹介したいと思う。

彼の作品をどこから紹介すべきか、非常に悩ましいところだ。
というのは、「ただ描いていて(と言ったら失礼だが)そのテクニックが秀逸」とか「作品の題材がユニーク」とか「一目惚れするようなインパクトがある」という作品の類とは一線を画しており、作品の一つ一つに独自の視点・発想があり、説明を聞くと、ほぅ、とかへぇ、とかふーむ、とかしか声が出てこなくなってしまうようなストーリーが裏にあるからだ。
甲乙つけがたいので、説明された順路に沿って紹介していこう。

※「Orrizonti(訳: 水平線)」

まずは、"写真言語を抽象化する"、というアーティストの研究結果の賜物の「Orrizonti(訳: 水平線)」というシリーズの一作品からいこう。

Orrizonti(訳: 水平線)

光に彩られた「地平線」は、フィルムをカメラに装填する過程で、撮影者が最初の撮影を始める前に、つまり意識と意志の前に生まれた線である。わかりやすく言うと、カメラの装填の過程で、フィルムの端っこ部分に自然に生成された光の書き込み、というわけである。であるから、天候や光の当たり方によって、様々な色が、撮影者の思惑に反して生み出されるわけだ。そのため、抽象的・絵画的である反面、客観的なものになっている。
ここで紹介している作品はピンク・赤系のバリエーションだが、その他、夕陽を思わせる黄・オレンジ系の小型の作品も展示されていた。

このような発想は、フィルムを使って撮影し、それを現像していた世代の方ではないと出てこないであろうし、この、"不要な部分をアートに再利用する"という発想は、先日投稿したGianluca Colin氏の展示に共通する部分があるかな、と思った。それを当人に伝えると、「あぁ、彼は知り合いだよ」と言っていたので、やはり、感度の高いアーティストは横の繋がりもあるのか、と思わされた。


※「Mirror Threshold(訳: 鏡の閾値)」

次に、従来の印刷プロセスではなく、反射率の高い表面に直接インクジェットで作成されたシリーズ「Mirror Threshold(訳: 鏡の閾値)」の一作品へ移ろう。

Mirror Threshold(訳: 鏡の閾値)
近景

この印刷システムでは、通常の写真の下地である白色を使用しないため、代わりに被写体の反射像が現れるのだそうだ。情報の不在によって生み出されたこの白/鏡は、作品の内と外にあるものを同時に表現し、イメージのない場所で、表面が光と反射を生み出し、現象学的世界とイメージの中の世界を同時に包含することになる。

説明文にはおおよそ、
「『鏡の閾値』は、写真の概念を撮影の特定の場所から結実の場所へと拡張し、撮影をした過去の瞬間から、観察者の"視線、時間、経験"の中で、現在の瞬間へと視覚を延長する。
イメージは提示であり、表現でもあり、観察者が直接的にイメージの一部となるような能動的な関係に身を置く。主体が自分自身と他者(世界と世界のイメージ)を同時に見る関係である。」と加えらえている。
難解な文章なので、理解するのに苦労したが、要約するとこのような内容になるかと思う。

※「Icons of Light(訳: 光りのアイコン)」の括り?

無題なのとイベントの説明書にも載っていないので、実際にこの括りなのかは定かではないが、そうだと信じて説明をつけようと思う。

無題

これはごく初期の段階の作品で、額にも入れていないが気に入っている、と氏は語っていたが、絵画に焦点を当て、そこに当たる光を撮影した作品だそうだ。
仮に"Icons of Light"の括りだとすると、下のような説明がつく。
「光は積極的に主題であり媒体である。光のアイコンは、生成と破壊を同時に行う二重のプロセスの結果であり、写真イメージを生成する光そのものが、絵画イメージを破壊する。元の絵画では、遠近法のフレームと油絵の反射面に描かれた絵画の真の主題が光によって表現される。一方、強調された遠近法では、型にはまった網膜の視点、直交しない視点、感覚的な外見に対する精神的な位置の物理的表現となる。」

もうこうなると、全てがメタファーのような気がしてくる。それくらい説明が難解なので、ずばり、「実際にどうやって撮影をしたのか、その様子をビデオに収めて見せてはくれないだろうか」と尋ねたいところだ。

実は、説明を受ける前の第一印象としては、胎児の写真の一部なのかな、とも思ったが、実際に話を聞くと、全く無関係だった。ある意味、私にとっては胎児の写真はホラーなので(詳細を公表できないが、幼少期の経験は本当にトラウマになるのだ)、そうではないことが分かり、ほっとしてじっと眺めることができた。

※「Shivà(シヴァ-ユダヤ教の葬儀後の7日間)」

それでは次の「Shivà」へ行こう。これは個人的には一番胸がときめく作品だった。

Shivà(ベルベットの覆いを取った姿)

このシリーズは、どれも黒いベルベットで覆われ、光から保護され、視界から隠されて壁にかけられているそうだ。私が見たのは1点だけだが、上の写真のようなイメージで全作品が制作されている。このベルベットは光を一切通さない漆黒の布で、見つけるのに苦労した、と氏は語っていた。
それぞれのイメージは、鏡の裏にUVインクジェットを重ねて作られている。そのため、鑑賞者の視線は作品鑑賞中に部分的に反射される。

鑑賞者との直接的かつ参加的な関係を求めるこのシリーズは、その反射像を多角的な視点から浮かび上がらせ、想像力と記憶を刺激する。
このアイデアは「近親者の死後、喪に服す7日間、家庭内の絵画や鏡を覆うユダヤ教の伝統であるシヴァ(※)や、祈りの期間のみイメージを覆い隠すチベットの伝統」と隠喩的に結びついているそうだ。

なんと、常に関心度大の「ユダヤ」がここにも登場、キターッ!!!、と一人胸をときめかせるシマ子(苦笑)

さて、覆われている作品は、光を吸収するブラックホールのように見え、隠され保護されたイメージを想像し記憶することができる。一方、覆われていない作品は、空間をミラーギャラリーに変え、作品の主人公であり解釈者である私たち観察者を中心に置くものになる。

※シヴァ(ヘブライ語: שִׁבְ עָה)
ユダヤ教において一親等の親族が一週間喪に服すこと。期間は埋葬後7日間。死後すぐの絶望と嘆きの期間に続き、個人が自分の喪失感について話し合い、他人の慰めを受け入れる時間を包含する。

この儀式は、亡くなった人の両親、兄弟姉妹、配偶者、子供に義務付けられている。葬儀では、弔問客はケリアと呼ばれる儀式で、行列の前に引き裂かれる外衣を着用する。いくつかの伝統では、喪主は日常着の代わりに裁断した黒いリボンを着用する。

シヴァを開始するには、埋葬場所が完全に土で覆われている必要がある。シヴァの期間中、喪主は自宅に留まる。友人や家族が弔問に訪れ、安らぎを与える。

Wikipediaより

※「Museo Segreto(訳: 秘密の美術館)の作品、Scudi(訳: 盾)」

いよいよ、クライマックスの作品、秘密の美術館用の「Scudi(訳: 盾)」へ移ろう。

Scudi

この三連作は、黒板に書かれた文字が徐々に消されていく様子を表現しているそうだ。
「文字が破壊され、物語的な内容が失われていく様子は、新たな視覚言語を生み出す潜在的なアイデアの出現を示唆している。イメージがどのように姿を現すかを探ることは、目に見える現実を釈明するプロセスである。」という説明がイベントのHPに掲載されている。

平凡な物体が写真に撮られ、彫刻された三次元のボリュームの上に置かれることで、複雑な思考のシンボルへと変化する。つまりこの場合は、盾形の発泡スチロールに、汚れた黒板の残片的なものがプリントされた布が貼られ、立体感が与えられたことで、すべてが複雑になった、という仕組みである。
二次元であれば単なる消し損ねであったかもしれないものが、三次元になることで一気に生命を与えられた感がある。


以上が、点数は少ないが、背景にあるストーリーが実に奥深いこのアーティストの作品と説明になる。
長い間、見えるようにする傾向があった写真への見方を、出現と消失の両方に作用するという見方に変えた氏の発想・・・つまり、視覚が照明から生じることもあれば、失明からも生じる、すべての生成行為は終わりをもたらし、すべての停止は新たな始まりを生み出す、というパラドックスというか輪廻転生的な発想が、このように唯一無二の作品シリーズを生み出したのだろう、と実感した。

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