見出し画像

ラッセンがすき。

noteというものを書くようになって、自分の心を実況中継するようなときも増えたのだけど、その心をそのままテキストにしたところで、それはただの思考の落書きであって、何も表現できていないのだろう。

いや、思考というか本能の落書きなので、ただただニンゲンが俗物であることを再認識するものであり、高尚な思考の整理とはほぼ遠いだろう。

性加害のニュースがあふれているけど、ニンゲンなんて本当にそんなもんだ。動物的な自分を超えるぐらい高次の目標をもっていなければ、ただムラムラしているだけの、発情期が異常に長い、猿なのである。複雑な社会の中で過ごしているから余計なストレスが多いし。

寝食に困らない人が大半を占める国と時代に生まれた僕らは、文明が進めば進むほど、世の中が複雑化して、ストレスをためて、それで発情を止められなくなって、また世の中を複雑にするツールが生まれているから、なんだかな。どこに向かっているのか、さっぱり分かりませんね。

大河ドラマ「光る君へ」を見ていると、千年も昔から、ニンゲンてのは変わらないことをしているのだと、ため息がでる。そこから更に千年遡った中国やローマも同じだったのだろう。スマホか奴隷かの違い、それだけだ。

かつては、身分の低い方々が、スマホのように色んな事をしてくれたようだ。和歌を詠み、音楽を聴き、美味しいものをたべ、そして仕事と言えば、ニンゲン関係の整理整頓。それらを命令するツールが、ニンゲンから機械に変わっただけ。その効率化により、1万人規模の貴族が、1億人規模に変わったということだ。

どうなるんすかね。やっぱりニンゲンはずっとニンゲンのままというか、この終わらないストレスなループを繰り返し、輪廻して転生し続けるのですかね。仏教界では、この輪廻から外れることが「解脱」であって、その先にある場所が「極楽浄土」であり、その境地が「菩薩」だとかっていう話だけど。

それこそ、何千年も前の人が、そのループから外れることがゴールなんですよと説いたっていうんだから、やっぱりスゴイ。生成AIがどんなに進化しても、ニンゲンを本当の意味で解脱させるものにはならないだろうに。仮想空間は、ニンゲンの精神世界を拡大するのかもしれないけど、豊かにするものではないだろう。もっともっと「不足」を感じて、欲にあえぐことになる。愚かしいのう。

「生まれ変わるなら何に生まれ変わるのが正解か?」というお題で、子供と話したりするんだけど、ウチの家族の正解は「イルカ」である。イルカは、仲間同士で超音波でおしゃべりも楽しむし、海の生態系的にも上位にいるし、ニンゲンに捕まっても、可愛がられるし。

そしてあの広い海を、我が物のように、どこまでも、どこまでも泳ぐことができる。こんな広い地球にいるのに、なんでこんな狭い考えしか持てないのか。

よし、今日も1日がんばろうって思ってメールを開くと、途端に気持ちがくじける。

何で俺がいつも、あの人の失敗の尻ぬぐいしなきゃいけないのか
この人の、この態度が許せねえなー
ああ、まとめるの面倒くせえ。数字出すのだるい。間違えそう

ピカソより、普通にラッセンが好きって誰かが言っていましたね。
今、そんな気分です。

この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?