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凪。

noteを書くというのは、海を描くことに似ている。

たとえば、嵐が来る前の、荒々しい海を描くというとき、その波のうねりや水しぶきに目を凝らして、そのパワーを映し取ろうとするだろう。

そこに動的なエネルギーがあれば、描き手は、その力を映しとることに専念できる。だが、静的なものは難しい。よく油絵では、静物画として果物が描かれているが、動いていないものは、ただただ、そのモノに向き合い続けなければならない。林檎が林檎たらしめているものは何か、描き手は自問しながら描きつづけることになるだろう。

凪いだ海を描くというのは、そういう意味で、終わりのない作業になるに違いない。凪ぐ、は音楽で言うところの休符であって、連続的な時間の中で存在するものであり、ただそれだけを映しとることは困難を極める。かといって、ただの静かな「海」に向き合うことにより、「海」の本質を映しとるだなんて、それこそ底の無い沼のような作業になってしまう。

だから凪いだ海を描くという時は、あまり考えすぎないことだ。その凪いだ海から漂う、のんびりとした気持ちに身をゆだねて、クラフトビールのCMを観ているような気持ちで、自分自身も凪いでしまうしかないのだ。


正月というのは、45歳の、家庭があったり、会社でもそれなりの責任を負うものにとっては、休むことはもちろんできるのだが、それ以外にも何か儀礼的なことや、整理整頓に追われるところもあって、実はそれなりにエネルギーを消耗している。

それでも毎年11月の下旬になるころには、ウキウキしている。とりあえず、いったんこの荷物を下ろせることに喜びを見出している。でも、その荷物を降ろした後は、それをイチイチ検分しなくてはならない。それで必要ないものを大掃除することは、楽しくもあるが、エネルギーを使うのだ。

そうして新しい年がきて、今度は、それをゆっくりと身に纏い、またそれを検分しながら、新しい気持ちで色々な人に挨拶にいく。気持ちは凪いでいる。どこか正月気分を残しながら過ごす1月。昨年から積み残した課題を少し片づける。そうして、1月が暮れていく。

2月。「節分」とは、その名の通り、節目であるそうだ。太陽と月を組み合わせてできた旧い暦においては、2月3日は云わば大晦日にあたるそうで、その先には「立春」があり、いわゆる昔のお正月であり、春を迎える「迎春」の準備をして、次の作物の豊穣を願う。大事な節目だったとのこと。


というわけで、僕は今、とても凪いでいます。感情が荒々しい時に書くnoteというのは、その感情を、少しだけ文字で整理をして、書き留めればよいですが、今日のように、温かい日がやってきて、気持ちが穏やかであると、なかなか文章というものは、書けないわけですが、でも本当は、今日みたいな気分こそが、本来あるべき姿であり、忙しくしていないと、自分が保てないような現代人は、この凪いだ気持ちを大事にするべきだと思うんです。

今年もあっという間に12分の1が終わりました。ありがとうございました。穏やかで、健やかな日々が続きますように。絵馬に書くようなことを書き記しながら、凪いだ気持ちで、この文章も終止符を打ちたいと思います。どうかみなさん、今日も一日、お元気で。



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