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腑に落ちないときのnote。

腑に落ちないことがある。

私が広告関連の仕事をしていた社会人2年目、大きな企画会議に参加した時に、次のタイアップ先はどこがいいのか、若い君の意見が聞きたいと言わらた。まっ先に「ジブリがいいと思います」と答えたら、苦笑いされて、変な空気になった。テレ朝系列の会議で読売系列のジブリはご法度なのだ。そんなことも知らなかった。

ご法度は、たくさんあった。auは、元々IDOという会社だった。そしてIDOはトヨタ自動車の移動電話の会社だ。だからauがタイアップするのは常にトヨタ。そこで日産自動車の話はご法度。アディダスの社員の前で当然、ナイキのスニーカーは履けない。パナソニックの前でソニーのメモリースティックは出せない。当時、たくさんのイベントを企画・制作する会社にいたから、常にその企業の立場にたって考える癖がついたと思う。

それから私も、いくつかの業界を転職したことで、他の人よりも広い視野を身に付けたと思っている。みんな自分の業界、会社、個人の経験に規定された常識の中で判断しているが、そんな自分の常識が、非常識であることなどいくらでもある。まさに「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」である。自分の経験の中で正しいと思っていたって、それが正しいという保証はどこにもないのだ。常に自分の軸を疑い続けるような謙虚な姿勢は持たなくてはいけない。

そんなことが分かってくると、少しだけ社会人として生きるのがラクになる。「ご法度」のポイントが分かるようになってくるからだ。仮に、自分が相手の常識の範囲を超えて失礼な振る舞いをして怒られたとしても、それはまあ、個人の見解だししょうがない、と割り切れる。見解の相違というやつだ。どっちが正しい、間違っていると白黒つける必要もない。


ただ、それでも腑に落ちない、と思うことがある。妻、上司、顧客といった自分よりも上の立場の人から受ける注意や叱責についてである。この時、相手が「自分が絶対正しい」というモノサシで来られると、これは困る。そして同じ力で反発したくなる。いやいや、今回の俺のやったことは、こういう見解で絶対に正しい、と。

平面の世界で、正しいと正しいが衝突しても、絶対に前に進まない。こういう時は、鳥の目線になって、ひとつ俯瞰してみることが必要だ。平面ではなく、空間でみる力だ。そうすると、空にはたくさんのスペースがあることが分かる。ひとつの星で生きていることも。

ここまで書いてみて、この話の結末が、イスラエル問題に直結する事に気付いたけれど、そこに安易につなげるつもりは毛頭ない。もっと深く、根深い思想がそこには存在していて、「お互いの正義の衝突だから、もっと上の視点をもって回避しましょうよ」なって呼びかけで終わる話ではないからだ。

とはいえ、こんな小さな島国の、こんな小さな事務所の片隅で、僕も、正しさについて考えている。特に世代間の衝突は、多い。我々30~40代と、60~70代の世代間ギャップは、本当に大きなテーマだ。そして、私よりも遥かに「上司」的な存在である妻とも、お互いの役割、性差、立場の違いから衝突というものはある。

「これ、褒められると思ったのに、なんか怒られた感じで終わったの、腑に落ちないなー」って気持ちありますよね?。ちなみに冒頭の画像は「麩」です。腑に落ちないの「腑」は、「はらわた」と読むそうですね。腹に落ちないということらしい。まさに消化できない話。そんなとき、僕はnoteに気持ちをぶつけることにしているわけで、1週間に1回は書くと1月に始めてから、あと2ヶ月で1年経つことになる。noteという存在に感謝の気持ちがわいてきた今日この頃なのである。

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