見出し画像

オレの半世紀。昭和53年の頃①

泣き叫ぶ、自分の姿を客観的にみている。

アパートの玄関のドアは開いている。ごめんごめんといって、母が外から戻ってくる。近所の人とまたおしゃべりに夢中になっていたのだろう。おそらく僕は、お昼寝から目を覚まして、母がいないことに気づいたらしかった。お気に入りのパンダのぬいぐるみを離さないでいる。

2歳の記憶。でもこれは、偽物だ。覚えている筈がない。自分の姿を、ビデオのように客観的に見ているのもおかしい。だが、私が幼少期を思うとき、このお母さんがいない不安な感情を思い出す。毎日毎日、不安で泣いていたような気がする。

母は、沖縄が日本に返還された翌年の1973年に、高校を出てすぐに姉と2人で上京してきたと聞いている。沖縄がアメリカだったということがどういう事なのか、未だに分からない。米軍がジープに乗ってそこら中を走っていたとか、カーニバルに参加したとか、ドル紙幣を日常的に使っていたと言うが、本当なのだろうか。田舎が嫌だったというが、それだけで東京に来れるものなのか。

22歳で私を産んでいる。何も分からない、頼る人もいない中で、若い母は必死だったのだろう。母はそそっかしく、忘れ物も多く、勘違いも多かったと思う。でもアタシは、アンタのお洋服だけは良いものを着させたんだとよく言っていた。なめられなくない、というような意地を感じる。

そんな母に溺愛されて育った私。だからこそ、いなくなると不安になるような子供だったのだろう。臆病さを抱えながらも、ときに大胆なことをする子供だったようだが、それは、今の40代半ばの自分もかわらないように思う。そんな僕は3歳の頃、大きな怪我をする。不定期ですが、時々こうして半生を振り返ってみることとします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?