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成功の奇跡!ゼロから社長になった不思議な体験

#あの選択をしたから

予期せぬキセキが成功への道を拓くきっかけとなった実話を共有します。初めての投稿で下手な文章ですが、気持ちが伝わると嬉しいです。


何も考えていなかったあの日。

突然やってきた奇跡が、私の人生に大きな変化をもたらしました。


当時の私は、パートより収入が良い契約社員という形態の会社勤めで、月15万程の給料でした。平凡で、成功のカギなどどこか遠い存在に思っていました。


そんなある日、長年連絡も取っていなかった知人からの誘いが、私の世界を揺さぶりました。


彼から発せられた言葉は、「今度、介護の新規事業を立ち上げるので、手伝ってくれないか?」という内容でした。


背が高く、昔から腰が弱かった私は、その言葉を聞いた瞬間、
「介護??腰が悪いから無理かな~」と即答していました。
介護といっても高齢ではなく、障がいのある子どものデイサービスなので腰に負担がかかることは、ほぼ無いというのは後々わかるのですが。


その火花は私を奇跡という未知の世界へ導いていくとも知らずに。


当時の仕事に苦はなく逆に、毎日の仕事内容は楽で、年配の方が多い職場ではあったけれど、わりと可愛がられチヤホヤされていた生活にどっぷり漬かっていた時でした。


上司も、料理教室の先生である奥様手作りのケーキなどを、ちょくちょく持ってきてくれ、「ティータイムにみんなでいただきましょう」と仕事の合間にコーヒーを飲みながら、ケーキやお菓子を食べたりと、まさに天国のような世界。


ただ、年配だけあって話の端々に「裕福そう、お金持ってるんだな~」と感じさせる余裕があり、羨ましくもありました。


何か月か過ぎたころ再び、「施設が出来上がったので一度見に来ない?」と彼からの誘いに、「このしつこさは何?」と思いましたが、「まあ一度見に行くくらいはいいか」と、約束をして見学に行くことにしました。


出来上がったばかりのキレイな施設でまだ何もなく、利用者さんがぽつんと一人、ナースさんが世話をしていました。


「だいじょうぶなの?」
内心思いましたが、彼の眼はイキイキしていて、一緒にいた、これからスタッフとして働くであろう人たちも同じように、楽しそうに見えました。


そこからさらに、1か月程たったある日、私は突然、奈落の底へ突き落とされるのです。


4月から、他の部署に異動を命じられ、そこは今までのように、お気楽な仕事ではなく、おそらく日々ストレスと戦うことになりそうな部署でした。


異動は絶対で、逃れられるのは退職一択しかありませんでした。


年配の同僚は、「〇〇さんの実力が認められたんだよ、きっと」と励ましてくれましたが、なかなか腑に落ちません。


その職場は、5年ほど勤め、
「こんな楽な仕事で給料が貰えるなんて最高!」と友人にも自慢げに話していたので、余計に悲しく、かなり落胆しました。


しかし、退職する勇気もない私は、4月から新しい部署に嫌々ながら行くしかなく、「住めば都かもしれない」と自分に言い聞かせたけれど、
気分がブルーな私は、やはり望まない職場を引き寄せていました。


前部署では、年配の方々の中でチヤホヤされ居心地が良かったのです。


仕事内容は別としても、そもそも人とのコミュニケーションが苦手な私は、なかなか馴染めないと同時に、今まで大した仕事もしていなかったツケがまわり、毎日のように女上司に怒られ、気分は最悪でした。


常に監視されているように、私を目で追っている感がすごく、やることなすこと注意され、これがまた声が大きく、まわりから注目の的でした。


「いますぐ帰りたいよー!」「私をそっとしておいてー!」と心の中で泣きながら叫んでいました。


毎日疲弊し、知人から誘われていたことも忘れていた頃にまた、
「週末休みなら、週1で手伝いに来てくれない?」とお誘いがあり、
この時ほど、知人が神様仏様に見えたことはないでしょう。


まさに、
「グッドタイミング!」
「シンクロニシティ!」
「超スペシャルスーパーミラクル!」
「週1と言わずに、何なら就職します!」と言わんばかりに心がときめきました。



「介護の仕事なんて無理、無理」と言っていた私のマインドが、こんなあっさり変わるなんて、自分でも驚きです。嫌なことから逃げたかっただけなのですが。



他部署に異動することなく、居心地の良い職場にずっと勤めていたとしたら、全く変化の無い人生を歩んでいたことでしょう。


彼の思いと、私の思いが「ガシッ」とハマった瞬間でした。


そして私は、週1での副業として流れに身を任せ、新たな世界に踏み出しました。
これが、成功の魔法の始まりです。


見学の時とは打って変わり、「こんなすぐに集まるんだ」と思えるくらい、たくさんの利用者さんがいてびっくりしたのと、介護の仕事は思っていたより楽しく、何より人のためになる仕事だと実感できました。


平日は、恐い女上司に怒られる毎日で、週末が来るのを楽しみにしているというサイクルを3か月ほど続け、とうとう本業を辞める決意をします。


退職の話をするのも恐く、女上司よりもさらに上の男性上司に話すことを思いつき、少ない脳みそをフル回転し考えた台詞が、
「父が病気で、看病のために辞めさせてください!」。


看病は嘘でしたが、病気というのはあながち嘘では無かったので、父のせいにしてしまったこと、ごめんなさい。


女上司にはすぐに話は伝わり、「コワイ、何て言われるんだろう」と構えていましたが、すごく心配そうに「大変ね、私に話してくれればよかったのに」と、今まで見たことないような優しい目で私に言いました。


辞める3日前くらいに、他の同僚と一緒に食事に連れて行ってくれ、勝手に自分でこの女上司は恐い人と、決めつけていたことが恥ずかしく、
「常に現実は自分の中で創られている」ことに気づきました。


驚くことに、「仕事を丁寧に教えていただき、ありがとうございました」と言えたことが不思議でした。


ここから、晴れて介護マスターとなってゆくのですが、
自分が引き寄せたとは思えないほどのチャンスに恵まれていたにもかかわらず、その時は全く気付くことができなかったのです。


半年ほど仕事を続けたころ、彼から、
「施設をもう一つ立ち上げたい」と。
そして、
「そこのオーナーをやらないか」という予期せぬ話に、

「?」
「私がオーナー?」
「いや~無理、無理」
「仮にオッケーだとしても早すぎでは?」


これまで、労働者としてしか働いた事がない、ネガティブ、陰キャラ、大勢の前ではパニック障害を起こしてしまい、楽な方、楽な方へと逃げてきた私に、「オーナーをやれと言うんですか、あなたは?」


ポジティブな人からすれば、超絶ラッキーと受け止めるところを、ハイパーネガティブな私は拒絶反応を起こしていました。


彼からのサポートを受けながら、資金調達やら物件探し、改装手配、申請まで初めての経験ばかり。


ネガティブマインドになっている暇もなく、あれやこれやとものすごいスピードで開業まで進み、あっという間に私は、社長になっていました。


彼のしつこいまでの提案が、私の中に種をまき、それがじわじわと育っていきました。
「しつこく誘ってくれてありがとう!」
「あなたには感謝しかありません!」


天国から地獄へ、そしてまた天国へ向かおうとしています。
他部署への異動は必然的であり、介護の世界を選ばずにいたとしたら、一生社長になることは無かったなあと思わずにはいられません。


これは、月給15万の会社勤めで感じていた心地よさが、私の潜在意識を刺激し、何の計画性もなく、無理やり行動を起こした訳でもなく、自然の流れに身を任せることで、成功への導きがあるということを身を持って体験した実話です。


ここから先はまた別の話。

最後までお読み頂き、大変ありがとうございます🙏





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