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ONE PIECE (Netflix) ~実写の価値をアニメの価値が超克する~


 ネットフリックスの実写版『ONE PIECE』を視聴した。
とても面白かった。実写の世界に、ワンピースの世界観が見事にマッチしていて、俳優さん、声優さんの演技も、実写のリアリティに近づけながら、漫画的な冒険ファンタジーの荒唐無稽な世界観が見事に体現されていた。シーズン2も製作が決定したのか?そんなニュースがちらほらと流れるが、楽しみに待ちたいと思う…。

 しかし、なんだろう。本来、比較する必要もないことなのだろうが、
「これだったら、アニメ良いな」
という思いがぬぐえなかった。
「これだったら、アニメ良いな」
ではない。
「これだったら、アニメで良いな」という感覚には、「実写化の失敗」という要素が背後に隠喩されている。

「実写の方がもちろん良いんだけれど、その実写化に失敗してるから、
 これだったら、アニメで良いな」

これが「アニメで良いな」という感想の言葉の背後に含まれている。
つまり、「実写」が上位で「アニメ」が下位に置かれるという価値観が
その考え方の背後には敷かれている。
しかし、ワンピース実写版においては、そうではない。
このネットフリックスドラマは、実写として素晴らしかったと感じる。
けれど、アニメの方が良かったのだ。実写化が失敗したから、アニメの方が良いと思ったのではない。アニメの方を優先的に観たかったのだ。
この価値観の背景には、「アニメ」が上位で「実写」が下位に置かれる
という価値観の変化がある。

 こんなことは、多くの人にとってはもはや当たり前な価値観で、私の感覚が遅れているだけなのかもしれない。しかし、私にとっては大きなカルチャーショックであった。
 そもそも、なぜ、アニメよりも実写の方が上だという価値観が無自覚的に形成されていたのだろうか。それは、突き詰めれば役者の身体性にあるのだろう。現実の身体の動き、抱える感情の身体化が、同じ身体を持つ私たち観客の「自分事」となり感情移入が可能になる。そういった身体を回路にしたリアリティの獲得が実写にはあった。
 しかし、私はもはやそのような身体性を重視していないのかもしれない。そのような身体性を回路にした、共感性の獲得よりも、映像という視覚刺激に特化したスペクタクルを観ること。そのことの方が、重要になりつつあるのだろうと思う。

 それでも、『るろうに剣心』が実写化された時は、実写化された映像の方が優先的に素晴らしいと感じた。それはやはり、役者の身体性と現実の街を背景としたリアリティがあったように思う。だとすると、ワンピースにおける「アニメが良い」は、CGを多用した絵作りという背景から発したワンピースに限定的な思いで(これだけリアリティがないものは、実写でやるよりアニメの方が良いよね、という単純な思いであって)、「実写」が上位で「アニメ」は下位という感覚は変わっていないのかもしれない。

 けれど、「アニメが良い」という感覚は、ワンピースを観ただけで感じたことではない。『君たちはどう生きるか』を観ても思ったことである。アニメという領域が、現実の身体性の価値を凌駕しつつある現状があるような気がしてならない。そのことを次の『君たちはどう生きるか』の記事でも考えてみたい。


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