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長編小説「僕らの夢の十一日間」総集編

3/10 朝5時、僕らは集合場所である東京駅に集合していた。
集まった人は、全部で3人。相模健太、大和恭介、鎌倉陽介だ。まずは1番線から発車する中央線快速八王子行に乗る。八王子に到着。ここから横浜線で橋本、相模線で茅ケ崎と乗り換えていく。茅ケ崎についたのは7時半だった。茅ヶ崎から東海道本線に乗って熱海へ。8時半についた熱海では、駅前の足湯につかる。朝からの疲れを足湯でしっかりとった3人であった。温まったところで9時発東海道線に乗り静岡駅へと移動した。また静岡、浜松と乗り継ぎ、一路豊橋へ。豊橋についたのは12時前。しかしここで重大な情報を知る。なんと、東海道本線の大垣~米原間が大雪で運休になったそうだ。僕らは一抹の不安を感じながら今日の昼食であるラーメンを食べた。そしてここからは東海のエース新快速に乗る。名古屋行きだったので終点の名古屋で下車。ここからは在来線は大垣までしか運転してなかった。なので「ちょっと変わった行き方をしてみない?」と相模健太に言われついていく。関西本線に乗ってまずは四日市、乗り換えて津まで来た。三重県津は日本一駅の名前が短いとこで有名だ。ここから西日本の管内に入る。またしても関西本線で木津、そこから奈良線で奈良に出た。そこから大和路快速で一気に天王寺まで行くここも新快速のように速いスピードが出る。そして天王寺についたのは16時前。天王寺から大阪環状線に乗り換えて、大阪を目指そうとして新快速で神戸まで行こうとしたが、問題が起こる。大阪環状線の中で3人は寝てしまったのだ。「環状」という言葉がついているので寝過ごしても問題はないが、なんとこの列車は今後3人を困らせることになる。一周してきて天王寺に戻ってきた。一番早く起きたのは大和恭輔だった。なんと電光掲示板をみると「次は和歌山」と表示されていたのだ。すぐに2人を起こし、和歌山で降りる。どうやら白浜までいく電車に乗っていたらしい。すぐに引き返して何とか大阪に戻ってきた。ここからも引き続き新快速に乗る。そして19時、ついに今日の目的地である兵庫県神戸に到着。東海道本線はここで終点でここのポートホテルに泊まった。
日本一周二日目
3/11朝6時、神戸のポートホテルで波の音でささやかに目覚めた。今日は昨日とは違い、全国どこでも雪は降らないということだと、3人はほっとしながら朝食を食べた。ここからも3人は新快速に乗る転換クロスシートなのでとても快適に終点姫路まで行けた。朝7時半頃、姫路城(白鷺城)に行き美しい建物を見ながらいいスタートを切ることができた。姫路からは相生で乗り換えて、赤穂線経由でゆっくり岡山に行こうと相模健太は思っていた。播州赤穂から岡山行きの電車でゆっくり瀬戸内海を眺めながら進んだ。岡山で岡山城、後楽園に行った。そして岡山からマリンライナーで高松に行き、遅めの今日の昼食であるうどんを食べた。これから高徳線に乗って夜7時に徳島に到着した。今日は明日に備え徳島のホテルに泊まった。
日本一周三日目
3/12徳島のホテルで気持ちよく目覚めた。今日は北海道の北でしか雪はふらないらしい。
今日は徳島駅7時過ぎの高徳線に乗った。高徳線の中では寝てしまった。そして、阿波池田に8時過ぎについた。普通電車が3時間後だったので特急料金を払って特急に乗った。そして8時30分の土讃線に乗った。また途中の大歩危危峡などがきれいで3人はとても感動した。高知まで行った。高知は9時30分過ぎにつくことができた。高知ではりまや橋や坂本龍馬の銅像なども見て「明治初期の様子が残ている」と鎌倉陽介は、言った。そして高知でブランチを食べていると、「今から行きたいところがある」と言った。「ついてきて」と言われたので行くしかなかったがどこに行くのかはわからなかった。そして乗り込んだ列車は11時ごろの特急南風だった。これで岡山に行くのかと2人は思ったが多度津で降りた。多度津から特急しおかぜに乗って松山まで行った。松山から予讃線に乗って下灘まで行った。ちょうど16時30分についたので日本で有名な風景を見ることができた。それで松山に戻ってホテルに泊まり夕食を食べ道後温泉につかった。
日本一周四日目
3/13朝4時今日は一番過酷な日になる予定を3人は組んでいたので、早めにわくわくして朝食を食べた。朝5時に早速乗るのが昨日も乗った特急しおかぜだ。ここも自由席だったが早朝なので空いているほか、とても快適だった。瀬戸内海の景色を3人は見ながら今日の計画について話し合った。今日は日本海側は雪が降るとのこと「遅れなどが出ないといいが」などと話し合った。そうして岡山についた3人だった。そこから今日は山陽方面に行くそうだ。岡山の新型車両URARAに乗って快適に福山まで行った。そして糸崎で乗り継ぎ途中の向洋駅で降りた。そこから市内バスを乗り継いで、原爆ドームに行った。原爆の被災者にお参りをした。そこからは広電を乗り継ぎ阿品付近で養殖のカキを食べた。そこから広島で使われている新型車両REDWINGに乗って岩国を目指す。岩国からは山陽本線ではなく「ディーゼルカーにも乗ってみたいと」相模恭輔が言ったので岩徳線というのんびりとした電車に乗ることにした。途中の錦川という川にかかる世界遺産候補の錦帯橋が見えた。そして徳山でまた山陽本線に乗り換えて下関まで一本で行った。いよいよ関門海峡を渡り小倉で乗り換えた。小倉についたのは17時頃でそこから快速の鹿児島本線に乗る、途中の八幡などでは八幡製鉄所などを眺めることができた。また帰宅ピークだったので古賀くらいから混み始めた。鳥栖で乗り換えて、長崎本線で武雄温泉に行き西九州新幹線の「かもめ」に乗り隣駅の嬉野温泉に行った。そして嬉野温泉ホテルに泊まった。
3/14 朝5時にさわやかに起きて早く朝食を取った。早速特急料金を払って「かもめ」「リレーかもめ」に乗って新鳥栖まで出た。7時過ぎ通勤ラッシュの時間だったので大牟田行の電車が熊本に行く人でいっぱいだった。そして大牟田で乗り換えて熊本まで行った。熊本地震で被災した熊本城なども行った。熊本でたっぷりと観光と昼食を済ませたあと、鹿児島本線で八代に向かっていたがここで重大な情報を知った。なんとこれから乗る予定の肥薩おれんじ鉄道が大雨の影響で、止まっているとのこと。この後鹿児島方面に行く予定だがどうするか一抹の不安を抱えながら電車に揺られていた。すでにこの地区も雨が強くなっており、後続の列車も遅れが出ているとのこと。そこで相模健太が「そうだ、新幹線は動いている!予定を変更して新幹線に乗ろう」と言い始めた。なんとしても今日中に枕崎に行きたい3人であったので、特急料金を払って川内まで新幹線で行った。自由席だったが昨日乗った「かもめ」とはまた違う環境だった。川内からは遅れは多少あったものの運行していたため鹿児島本線に乗って鹿児島中央、そこから指宿枕崎線の快速で指宿で乗り換えて枕崎に18時過ぎについた。折り返しで今日は指宿まで戻る。指宿で一泊。
•        3/15 朝4時指宿のホテルで気持ちよく目覚めた3人。三人は五時半過ぎの指宿枕崎線に乗った。坂之上あたりから通勤ピークで込み始めた。6時半過ぎに鹿児島中央についた。特急料金を払って「きりしま」に乗った。10時に宮崎につくとまたしても特急に乗って「にちりん号」に乗って大分まで行った。自由席だったが中はとても快適だった。大分から各駅停車で別府には13時半についた。そこで駅前の足湯に使った。別府で昼食を食べた。これから乗るのは格安の特急ソニックである。宇佐まで30分足らずでつく。そこでバスに乗る「鉄道じゃないの?」と疑問気に鎌倉陽介は言う。しばらくバスに揺られていると「まもなく竹田津港です」と放送がかかりここで降りた。竹田津港から乗るのはなんと船だった。2時間かかって徳山港についた。なんで船に乗ったか気になったので大和恭輔は聞いた。なんと「こっちのほうが1時間程度速くつくから」と相模健太は、言った。そこから今度は山陽本線に乗って岩国で乗り換えて広島についたのは6時半過ぎだった。芸備線に乗って三次まで行った。明日に備えて三次で泊まった。
•        3/16 朝5時3人は三次のホテルで気持ちよく起きた。早速朝ご飯を済ませ、始発の芸備線に乗って備後落合駅を目指す。備後落合で乗り換えて宍道まで行った。2時間半程度で宍道についた。そこから山陰本線で出雲市についた。出雲大社でお参りをした後、出雲の街を存分に観光した。しかし雨が降り始めた。最初はあまり強くはなかったがどんどん強くなってきて視界が真っ白になってきた。サンライズ出雲には乗ることができたが、10分遅れて出発。途中の米子でご飯を買った。しかし大雨の影響で岡山駅で取りやめるそうだ。大阪の付近が1時間で80ミリが降っているからだ。岡山駅から新幹線に乗ろうと思い、新幹線改札口へ向かったが、姫路から先が運休しているそうだ。とりあえず山陽新幹線に乗り換え姫路まで行く。姫路からは新快速と思いきや山陽本線も運休していたので、高速バスに乗って新大阪に向かった。新大阪到着は23時30分。幸運なことに東海道線は運転再開しているようだった。長時間のバス移動につかれたのでそこで泊まると思いきや、新快速野洲行の最終に間に合った。また、京都から近江塩津行きの最終に間に合ったので近江塩津で泊まった。
•        3/17 朝6時僕らは近江塩津のホテルで起きた。今日は全国各地で晴天で西日本で雨が少し降るらしい。6時45分くらいの北陸本線に乗り、敦賀まで行った。敦賀には7時前についた。北陸本線で金沢に行くと8時前につくことができた。それで金沢で朝食を食べ、金沢城に行った。金沢城は晴れていたのもあってなのかとてもきれいに見えた。金沢駅に戻りはくたかに乗り富山駅まで行った。富山駅には10時前についた。それで富山城とバスで五箇山、白川郷を観光し、富山駅に戻り、10時半前のあいの風とやま鉄道に乗って泊に11時半前につき再びあいの風とやま鉄道で糸魚川駅まで行った。糸魚川で昼食をとり、糸魚川駅からは大糸線で松本まで行き、篠ノ井線で長野に行った。善行寺まで歩き、善光寺でお参りをすると、もう16時になっていた。それで長野駅に戻り、日本一標高が高い姨捨駅に行って姨捨のホテルに泊まった。
•        3/18 朝5時、姨捨のホテルで心地よく起きた3人は、今日も過酷な大移動になる予定なので計画をしながら朝食を取っている。7時過ぎ姨捨駅から篠ノ井線で塩尻で乗り換え、中央本線に乗って小淵沢駅に向かった。小淵沢から高尾、立川と乗り換えて正午前に東京駅に着いた。ここで旅は終わると2人は思って残念がったが、まだ続きがあることを相模健太は、言って2人は喜んだ。東京から地下ホームに行って横須賀線ホームで君津行きに乗って錦糸町付近から総武線と合流する。総武線で久しぶりに都市の風景を見て3人は楽しみながら西船橋駅で京葉線のほうに乗り換える。「東京から直接来てもよかったけれどこっちのほうが楽しい」と鎌倉陽介は言った。そして海浜幕張で降りて東京湾のアクアラインを一望することができた。海浜幕張への道を急ぐ。幕張駅からは蘇我と千葉、成田で乗り換えて成田線で我孫子まで行った。我孫子から勝田に行った。途中の水戸で偕楽園の梅を見て勝田からいわきにいって今日の夕食のラーメンを食べた。いわきから原ノ町で乗り換え、仙台に行ってこの日は泊まった。
•        3/19 朝4時仙台で目を覚ました3人は朝食を食べ支度をし、すぐに歩いて榴ヶ岡駅に向かった。なんとホテルから300mなのである。始発に乗って途中の松島海岸付近で松島を見て石巻に7時についた。石巻からは小牛田、一ノ関で乗り換えをして盛岡まで行った。盛岡には正午前についた。盛岡で昼食を取り、盛岡からはIGR岩手銀河鉄道、青い森鉄道、奥羽本線で新青森まで行ったら、特急料金を払って新函館北斗まで行った。3時に新函館北斗について、函館ライナーで五稜郭に行って、五稜郭を観光した。函館などを見てまた新幹線で新青森まで行って、弘前に21時前についた。途中の五所川原でストーブ列車を見ることができた。弘前で夕食を食べ、弘前のホテルに泊まった。
•        3/20 朝5時弘前で目を覚ました3人は始発に乗るため朝食を取った。弘前からは秋田に行きなまはげを見た。秋田から酒田、鶴岡と乗り換えて村上には14時前についた。村上で今日の昼食であるそばを食べて、新潟には15時半についた。新潟でお土産を買った。そして羽越本線で長岡に到着したのは17時半だった。長岡で夕食を食べ、上越線で越後湯沢まで行く。途中の浦佐付近で浦佐城跡を見た。「終わりも近づいてきたね」とひそかに大和恭輔が言った。越後湯沢についたのは、19時過ぎだった。湯沢温泉に今日は泊まった。
•        3/21 朝5時今日は最終日なのでむなしい気持ちで起きた。起きるとあたりは銀世界になっていた。そう夜、雪が降ったのだ。朝食を取り、越後湯沢駅に行って始発の水上行に乗った。途中の土合駅は日本一のモグラ駅である。水上から乗り換えて新前橋で降りた。新前橋から両毛線であしかがフラワーパークに行って咲き始めた花を見た。あしかがフラワーパークからお山に出て宇都宮に行った。宇都宮に到着したのが正午だったので、宇都宮で餃子を食べた。日光線に乗って日光に行った。日光東照宮にてお参りをした。そしてまた日光線で宇都宮、黒磯で乗り換えて高久からバスで那須高原に行った。ここである事件が起こった。なんと蕨にある変電所が火事になったのである。なので関東のJRは止まってしまった。それにいち早く気づいた大和恭輔は2人に知らせた。するとみんなパニックになってしまった。この付近はJRしか走っていないのである。とりあえずロープウェイで山麓まで戻ってきた。そして那須バスセンターにとりあえず出た。那須塩原駅に行っても動いてないから意味はない。那須バスセンターから上三依塩原温泉口駅行の15時のバスに乗った。上三依塩原温泉口まで行くと会津鬼怒川線に乗って新藤原で乗り換え、下今市まで出た。そして東武動物公園で乗り換え茎でも乗り換え羽生へ出た。羽生から寄居まで秩父鉄道に乗って、寄居から東武東上線で小川町に出て無料と特急「川越特急」で池袋まで行った。特急料金もいらず、1時間でついた。池袋から丸ノ内線に乗ってゴールの東京についた。そして旅の終わりを告げた。  完


ありがとうございます。