今だけカネだけ自分だけ

 突然だが、この歌詞を見てピンとくる方はいるだろうか。

世界じゅうの敵に降参さ 戦う意思はない
世界じゅうの人の幸せを 祈ります
世界の誰の邪魔もしません 静かにしてます
世界の中の小さな場所だけ あればいい
おかしいですか? 人はそれぞれ違う、でしょ?でしょ?でしょ?
だからお願い かかわらないで そっとしといてくださいな
だからお願い かかわらないで 私のことはほっといて

2013年冬に日本テレビ系で放送されたドラマ『泣くな、はらちゃん』のテーマソング『私の世界』の歌詞の一部である。私が当時小学5年だった頃に見ていたドラマだが、この歌詞の歌い手は自分だけの居場所というものを切実に欲していて、そしてなお自分を囲む世界の幸せを祈念している。みんなが自分だけの幸せを願っている。その願いを脅かすことは誰にも許されないから平和が必要なのである。
 だがこの歌詞とは違い、現在の日本では「今だけカネだけ自分だけ」という生き方、“教養”を名乗る紛い物が蔓延っているようだ。

レジー氏『ファスト教養~10分で答えが欲しい人たち~』

 かなり久しぶりの投稿となるが、今回は読書感想文だ。レジーという人はかねてよりTwitterでよく見かけていた。質問箱に投稿された箸にも棒にも掛からない質問に辛辣な回答を寄せているイメージがある人だが、宇野維正氏との本書を巡る対談などを見て読むことにした。Amazon等のレビューは一切見ずに読んでみたのだが、意外なことに私が普段考えていること・違和感が言語化されていたり“インフルエンサー”と称される人達が纏うそこはかとない胡散臭さの由縁が的確に説明されていたりして非常に面白く読んだ。
 「ファスト教養」という現代の日本に漂う不穏なモノの正体は何なのか、また、ファスト教養の時代を生き抜いた先の「ポストファスト教養」にはどんな地平が広がっているのか、どうすれば打破出来るのか。それらの疑問に対して「著者個人の体験・キーパーソンの分析・教養を巡る世界の変遷」といった観点から徹底的な分析が行われ、最終的には希望が垣間見えるような構成となっている良書だった。

AKB48という存在

 著者はファスト教養の特徴的な価値観を「自己責任/スキルアップ/公共との乖離」であるとし、それら全ての特徴を合わせ持った存在としてAKB48を挙げている。AKBの全盛期として記憶にあるのは、私が小学校中学年~高学年ぐらいの頃だろうか。クラスにAKBの熱狂的なファンである女子がいて、AKBとかももクロとかそういうアイドルに男子は何となく冷めたような、茶化すような視線を送っていたことを覚えている。実際修学旅行では男子数人が『恋するフォーチュンクッキー』を踊らされていたし、成人式会場では我々の学年を象徴する楽曲として嵐の『ワイルドアットハート』等とともに『フライングゲット』が流れていた。握手券等の音楽以外の付加価値を付けて個人に大量のCDを購入させる所謂「AKB商法」はオリコンチャートを破壊し、人々の音楽への関心を低下させたと著者は説明する。関ジャムで「2000年以降のJPOPランキング」的な企画が放映された際にも2010年代前半の楽曲が全くランクインしていなかったことも話題となったが、この頃に邦楽シーンが低迷していたことの裏付けだろうか。とにかく、このAKB商法によるチャート破壊行為は「公共との乖離」にあたるというのだ。さらに、そこに所属する大量のメンバーは文字通り「自己責任」での「スキルアップ」を迫られた。著者は過去にツイートでAKBのOGがファスト教養界隈に接近しインフルエンサーじみたことをやっていると指摘していたが、こうしたファスト教養に接近する人間には必ずその素養がある、という考えのようである。
 著者は何度も、ファスト教養の隆盛が「ビジネスパーソンの焦燥感」によるものだと強調する。何とかして“スキルアップ”して自分を他者と差別化しなければ下層に転落してしまうという恐怖、今すぐ役に立つツールを用いて激動の社会に適応せねばという不安がメディアによって煽られ、それが「速く、直観的に簡単に、大雑把に」大量の“教養”のインプット&アウトプットを促しているというのだ。
 新時代に適応するために文理を融合させた知識・思考が必要だ、他者との協調性やコミュニケーションスキル等が“新しい能力”と謳われるが、それは何ら“新しく”なく、従来から必要であった陳腐なモノであると看破する。“から騒ぎ”のようなものかもしれない、とまで述べているのだ。「これからは自分で努力してスキルアップしないと簡単に置いていかれ、脱落してしまいます。そうならないためにも手っ取り早く『教養』を身に付けねばならないのです」といった言説の存在があるとすれば、厄介である。もっとも、そんなに都合の良い“教養”など存在しないし、学問に王道なしと古から言われている通りである。それに加えて「次の時代は○○が必要」というムーブメントがまやかしに過ぎないのだとしたら、他者に遅れをとるまいと必死になって教養にかじりつくのは滑稽である。

税金を払えるか否かでサポートの価値が決まる

 私はもともと自己責任論というのが大嫌いである。ダウン症の子供を持つ親に対して「なんで出生前診断をして中絶しなかった、お前の子供は社会のお荷物にしかならんのだ。税金の無駄だ、一切公共サービスを利用するな」といった暴論がネット上で飛び交えばそれなりの「いいね」が付き多くのリツイートを得る。植松被告が津久井やまゆり園を襲撃して多くの障がい者を殺害した事件では「殺すというやり方は間違っているけど、植松の言ってることは間違ってない」「“どんな命”も大切、とのたまう連中は綺麗事を言っているだけ。現実が分かってない」という意見がそれなりの賛同を得る。福祉の概念を持ち出すと「自己責任なんだから支援する必要はない」という茶々が必ずと言って良い程入るが、憲法の「法の下の平等」や「生存権」等、当然知ってもいないらしい。これらは本来、それこそ取るに足らない唾棄すべき言説であるにも関わらず一定数の人々が共感を示すのは何故なのか。その答えが本書にある。
 「税金を払えるか否か」で社会的支援の必要性を考える人がいるというのである。著者は約2年前のメンタリストDaigo氏による「ホームレス/生活保護受給者の命はどうでもいい」発言をとりあげ、税金を払うのが困難な障がい者や貧困者に攻撃が及ぶことがあるこの国では、Daigo氏がしたような過激な思想もある程度の普遍性を持ち得るらしい。地獄のようだ。このような思想に妥当性を見出す人々には、自分が「納税出来ない」側に転落するという発想はないのだろうか。百歩譲って損得勘定で考えたとしても、現時点では納税の能力がない下層の人達を救うことで彼らが将来の納税者となり税収に繋がるという考えもないらしい。
 本書の終盤に出てくるが、人は一人では生きていけない。成功が自分一人の手柄だと思っても大抵は大勢の他の人間が関与しているし、自分にはどうにも出来ない「出自・病気・運命」といったものに必ず左右される。そういうものに偶然恵まれた人がいたとしたら、それは「ラッキー」程度のものでしかない。私の親はよく「明日交通事故に遭って重大な後遺症が残ったらどうする?」「来年原因不明の神経難病を患って働けなくなったらどうする?」と考えるという。自分の足場は絶対ではない、いつ崩れるか分からないという想像が欠けると自己責任論に走る。著者はファスト教養論者にみられる傾向の1つとして「徹頭徹尾自分のことにしか言及しない」ことを挙げる。自分の事に関しては自分しか責任が取れない、だから個々人の力で何とかするのだ、というメッセージが、ファスト教養界隈からは伝わってくるようである。

たとえ“ファスト”であっても知らないよりマシ?

 こういう疑問は本書を手に取ったほとんどの人が一度は抱くだろう。大雑把で枝葉が省かれた“ファストな”知識であっても、知らないよりはマシなんじゃないか。だがこの疑問にも本書では答えが出ている。今回のnoteが『ファスト教養』の内容を大雑把に分かりやすくまとめたファストコンテンツになってはダメなのでその答えはここでは明示しないが、婉曲して述べると「ファスト教養が発信される出所に信頼性・正確性が担保出来ないのに、どうして信じることが出来ようか」ということらしい。これだけでは何の事だか分からないと思うので是非実際に読んで欲しいのだが、確かに、果たして「知らないよりマシ」精神で効率よく雑多な知識を専門性のない胡散臭いインフルエンサーから大量に摂取したところで貴方が求める「教養」「美意識」は手に入りますか、と問われれば、冷静に考えると「ノー」だろう。
 著者はオリラジ中田敦彦氏のYoutubeをとりあげていて、まさに「専門外の領域にも首を突っ込み、ろくな下調べもせず“読書代行”として教養を流布する」例だと説明している。個人的には中田氏の「消費税ってホントに社会保障に使われてるの?」という内容の動画には深く共感を覚えたので著者の辛辣さには少々たじろいでしまったが、ああ、そういう趣旨のYoutubeチャンネルなのね、と本書を読んで納得した次第だ。
 浅はかなカルチャー論・教養論をある世代のインフルエンサーが垂れ流し、「浅はか」であることを知りつつも許容し、出版社は次々と書籍を上梓させたりメディアはネット記事を書く。「こういうのを書かせ/言わせればウケる」ことを分かってやっているというから悪質で、根は深い。また、このようにして放たれたファストな情報に長く触れ続けると何でも知っている気になりがちだ、本来勉強とは知れば知る程分からない事が増えるはずなのに、という著者の指摘には唸った。著者はこの「何でも知っている気」になる感覚を「全能感」と表現しているが、まさしくファスト教養が実は「教養」でも「学問」でもないことの証左といえるだろう。

実感がイマイチ湧かない・・・

 著者は学者ではないので、時間をかけて知識を自分のものにし生き方や時代の捉え直しを行う営み:即ち「古き良き教養」を全肯定することはしないし常に純粋だったとも考えておらず、ビジネスに役立てるために教養を身に付けることを全否定しない。ただ「その両者のバランスが今は悪すぎる、何でもかんでも教養がビジネス=金儲けと直接的に繋がるのってマズくない?」と指摘しているのだ。そこが良いと思った。両者を両立させつつ(即ち「スキルアップもしたい、でもビジネスに直接の関係はない事柄の世界も持っていたい」というもの)、既存の“ノリ”から自由になってファスト教養的なものに対抗するにはどうすれば良いか探る試みがなされている。
 著者は物事を表層ではなく深く考える人なのだろうし、多分カルチャーについての深い洞察や正しい倫理観・道徳観を持つ人なのだろう。それ故、そんな著者から提示される結論・即ち「ビジネスに役立てるために専門性を背景とした正しい知識に触れるのは良し、同時に自分の嗜好も発見した方がいいし、ノイズを疎むことなくむしろ積極的に取り入れるべき。そうすれば成功者が正しい評価を受ける時代がくるし、むしろ“効率が悪い”としてアイデアが切り捨てられることもない刺激的な社会になるだろう(大分かいつまんだが)」が少々ハードルが高いというか、なかなか難しいな、と正直感じた。本書をどんな層の人達に読んでもらいたいと考えたか、著者は触れているが、もしこれを「ファスト教養に首まで浸かっている人」が読んだらどう感じるか気になるところではある。そういう人を動かすのはちょっと厳しいのかな、とも感じた。とはいえどんな方法を提示し説明したとしても、そういう人達を動かすのはほとんど無理だろうが。つまるところ、著者は本書を「貴方がこれからファスト教養に染まらないために、また、ファスト教養全盛時代を生き抜くために、どんな視点が必要か」伝えたくて書いたのだと判断する。
 また、今が「ファスト教養全盛時代」であるという実感も、私にはイマイチ湧かない部分がある。私がビジネスパーソンではなく学生であることも起因しているのだろうが、実感としては少なくとも私の大学の交友関係付近でいえば「ファスト映画」で事を済ませる人間を見聞きしたことはないし、皆が血眼になって教養を身に付けたがっているという体感もない。著者はファスト教養隆盛の実例として幾つかのビジネス書等を挙げているが、例えば○年前のベストセラーはこうだったが現在ではこう変化している、とか、実際ファスト教養系インフルエンサーが流布する教養に何割ぐらいの人が触れているのか、といったデータがあれば私ももう少し実感が湧いたかもしれない。とはいえ、それも本書が「ビジネスパーソンにおける」実態を描きたかったのだとしたら的外れな要求ということになるだろう。

人は相互作用の中で生きている

 最後に、本書は一抹の希望で〆られていることに触れておきたい。本来、「役に立つ/立たない」という基準は曖昧で簡単に判断など出来ないが、ファスト教養隆盛後の現在では「金儲けに繋がる/繋がらない」という判断基準が導入されてしまっている。また、教養は「人生を豊かにする=お金を稼げる」という歪んだ解釈が敷衍している。そしてこうした流れは、今後急激に減速するということはないだろう。なかば絶望的な状況ともとれるが、まだ何とかなるそうである。先程、著者が提示するポストファスト教養時代の展望は少々ハードルが高いのでは、という感想を述べたが、完璧に実行出来なくても良い。個々人が内面に少しでも忍ばすことが出来れば、胸の内に「ファスト教養に対抗する心」を少しでも持ち続けることが出来れば、「第二のジョブズ」の誕生を見届けることが出来、本ものの「教養あるビジネスパーソン」になれると本書は説く。
 「偶然の作用を信じること」と自己責任論は水と油みたいなものである。自己責任論を内面化させることがファスト教養が入り込む余地を形成しているのだとしたら、「自分の人生・成功には様々なものが絡んでいる。決して自分の努力のみで生まれたものではない」という具合に人生の縦軸と横軸を意識することが出来たなら、「ファスト教養と対になるもの=自分を既存の枠組みから解き放ってくれるもの」を手に入れられる、と著者は希望を示す。人は波のように相互に干渉し合って生きている。波は干渉して強くなったり打消し合ったりするが、自分の成功・失敗もその程度のものなのだ、と常に思う。それは「自分と他人は違う」という多様性の根本を意識することでもあるし、VUCAの時代だろうが自分を見失わず生きる道しるべとなるもの=真の教養を探る試みなのであろう。本書がレジー氏の人生観やカルチャーへの深い愛、世の中への憂いが重なり合い執筆のモチベーションとなった力作であることは疑いようがないだろう。
ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち (集英社新書) | レジー |本 | 通販 | Amazon

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