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離婚道#10 第2章「夢幻泡影 その2」

第2章 離婚ずっと前

夢幻泡影 その2

 交際が始まった時、雪之丞は52歳だった。
 つまり、私の知らない雪之丞の過去は、半世紀を超える。全部の歴史を知ることはできないが、重要なことから情報収集していった。
 まずは結婚歴について。
 雪之丞は、32歳ごろに結婚し、子供が男女2人できたが、結婚10年目に離婚した。以来約10年間、独身だったという。
 高校生と大学生の2人の子供には妻が会わせてくれず、子がいないのも同然だという。なぜ子供に会えないのか、少し不審に思ったが、元妻は雪之丞と離婚した後、雪之丞の弟弟子にあたる橘流の能楽師と再婚し、新しい家族を築いたらしい。
 経歴についても、いろいろ質問して徐々に分かった。
 男ばかり4人兄弟の末っ子として、一般家庭に生まれ育った雪之丞は、都内の大学夜間部に通ったが中退し、18歳で能の囃子方大鼓の橘流に弟子入りした。橘流宗家は、吉良家の遠い親戚にあたるそうだ。
 ここで、少し難解な能の世界について説明したい。
 能は、猿楽師の観阿弥(1333-1384)と息子の世阿弥(1363?-1443?)が室町時代に大成した日本の伝統芸能である。能面を用いて抽象化された演技に、歌とセリフの「うたい」と謡をはやしたてる「囃子」を合わせた歌舞劇で、650年以上もの間、そのままの形で伝承されている。シェイクスピアの200年も前に、現在まで生きる能芸の基礎を確立したわけで、世阿弥は、観阿弥とともに、日本の文化のジャンルに新たに演劇を加えた偉人といえる。
 世阿弥の最大の功績は、「夢幻むげん能」とよばれる演劇発想の完成にある。
 この夢幻能とは、神や亡霊、天狗などの超現実存在の主人公(シテ)が、名所旧跡を訪れる僧侶などの旅人(ワキ)の前に出現し、土地にまつわる伝説や身の上を語る形式の能のことをいう。全体がワキの見た夢か幻であるという構成になっている。
 また世阿弥は、『風姿花伝』など20数編におよぶ演劇理論をのこした功績も大きい。
 
 さて、大鼓方の「橘流」に弟子入りした雪之丞は、人一倍の努力と天才的感性でメキメキ頭角をあらわしたという。
 能楽師というのは、シテ方、ワキ方、狂言方、囃子方の職掌に分かれていて、各方にはそれぞれ流儀がある。所属する宗家で訓練を受け、玄人として認められると、能楽協会に登録される。能楽協会会員になると、プロの能楽師として活動できるというわけだ。
 囃子方は、小鼓、大鼓、太鼓、笛の4種類に分類される。
 鼓は小鼓と大鼓があるが、通常、鼓といえば小鼓で、左肩に鼓を乗せて右手で叩くスタイル。大鼓は左膝に乗せて、右手に指皮をつけ、乾いた音を鳴らす。
 第十五世橘勘右衛門には跡継ぎの子がおらず、また雪之丞は師匠の橘勘右衛門にひどく気に入られたため、「養子縁組して第十六世宗家に」という話が浮上した。ところが途端に、橘家の人々や兄弟子たちから猛反発をくらい、いろいろもめた挙句、雪之丞は能の囃子方の世界から飛び出したという。同時に能楽協会からも退会。それが平成元年、雪之丞が40歳のころだった。つまり、能楽協会からの退会と離婚は、ほぼ同時期のようだ。
 その後、雪之丞は「有限会社 雪花堂」を設立し、新たに能楽プロデューサーとして裏方の活動をはじめ、質の高い新しい舞台芸術を作ろうと模索している。吉良流といわれる独自操法を編み出したのは独立直後のこと。また、橘流の大鼓の教え子のうち、趣味のお稽古事だった者の多くが、雪之丞が独立した後もそのまま稽古を続けているという。
 私が雪之丞に感心したのは、全く遊びをしないこと。根がものすごく真面目なのだ。そして己の精神を鍛えるため、どんなに仕事が忙しくても、2カ月に1度は全国各地の行場に出向き、滝に打たれていた。古武術の鍛錬も毎日の日課とし、50代の雪之丞は30代の格闘家並みの肉体をしていた。
「私はこれからの人間ですから」
 というのが雪之丞の口癖だった。精神と肉体が若々しいため、全く年の差を感じなかった。強面こわもてでクセが強く、人づきあいも下手であるが、言っていることが純粋で可愛らしいところも好感がもてた。
 ただ、私はグイグイこられるのが苦手だった。記者の仕事が一番大事だったし、旅行も食事もひとりが楽しい。自由を奪われること、束縛されることが何よりも嫌なタチだからだ。
 ある日曜日の夜8時ごろ、いきなり雪之丞が門前仲町の私の自宅を訪ねてきたことがあった。インターホンの画面に着物姿の男が映り、
「お台場まで来たものですから、まどかさんに会いたくなり、立ち寄りました」
 何の躊躇ちゅうちょもなく、雪之丞は真っすぐにカメラを見ていた。
 私は面食らった。突然、家に来られても困る。自分の時間と私的領域は守りたい。
「吉良先生、すみませんが、今日はもう具合が悪くて休んでいますので出られません」
「わかりました。突然訪ねてしまい、失礼しました」
 雪之丞をオートロックの外で帰した。帰したはいいが、私は自分がひどいことをしたように思えてならなかった。仕事優先、自由を満喫――そんな自分勝手な生活を続け、私の人生は本当にいいのだろうか、と考え込んでしまった。
 ……どうも雪之丞は、私のペースを乱してくる。
 雪之丞が登場する数カ月前までは、仕事に苦戦することはあっても、私の生活はもっとシンプルだった。私のテリトリーに土足で入ってくる男とは、距離を置いて深くつき合わない。悩むことはなかった。
 だから、雪之丞を帰した。それでいいのだ、と思うようにした。
 しかし、モヤモヤが晴れない。考えれば考えるほど、私はこのままでは進歩がないような気がしてきた。私には改善や変化が必要なのか……。
 翌日、私は雪之丞に電話し、謝罪した。
「吉良先生、昨日は大変失礼いたしました。自分勝手な態度に気づき、反省しております」
 すると雪之丞は、私の謝罪を当然のように受け止めた。
「まどかさんは、ご自身で気づく方だと思いました。なにごとも、気づきがないと、人は向上しません」
 いま振り返れば、私は確実に自分自身を見失っていた。
「吉良先生は私をより良い人間に引き上げてくれる人だ」と、のぼせ上がっていたように思う。
 夢幻泡影(むげんほうよう)――人生のはかないことを意味する仏語だが、雪之丞との出会い、そして恋愛も結婚も、いま思えば、夢と幻と泡と影だった。自分を見失っていた私は、雪之丞の思う壺に、自ら進んでハマっていったようなものだった。

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