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新訳 枕草子3「正月一日は」1

 お正月はやっぱり空がうららかに晴れ晴れとして見え、霞がかっている中で、人々は皆身も心も特別に着飾り、心踊り、あなたも私もおめでたい言葉をかけあう。いつもにはない光景で趣がある。

 1月7日は、雪の間に咲く若菜を摘む。毎年の行事ではあるけれど、いつもは目にすることがないので、人々はみな大はしゃぎ。楽しそうだ。白馬の節会のために、町の女たちは牛車を美しく整え見にいくのだ。中御門の敷居では、人々がごった返し、人々の頭も白馬を見ようと一箇所に集中し、女たちのせっかくの髪飾りも落ちてしまい、

「あぁ、しっかり注意していなかったから落ちちゃった・・・」

などと笑っているのを見るのも、白馬の節会らしい。

 左衛門のとある区画に、殿上人や他の役人たちが沢山いる。白馬の前に立って先を歩く舎人たちが弓を手に取り、馬をおどかしては笑うのを私は牛車の簾の隙間からちらっと覗いて見ていた。立蔀と呼ばれるパーテーションの中が見え、そこでは主殿司と呼ばれる女官たちやその下の位に属する女官たちが忙しそうにすれ違い合う様子があり、その仕事ぶりは本当に素晴らしい。

 その一方、殿上人たちの姿がちらちらと見えるが、彼らを見ていたら、一体どのような人が皇居の内側でいられるのだろうか、と思いやられるのだが、実際に宮中で彼らの姿を見るのは狭い範囲に限られる。舎人の顔の素肌は非常に黒く、白粉が行き届いていないところは、雪がまばらに汚れて溶け残っているように見え、それはそれは見苦しく、馬が上下に頭を揺らしながら騒いでいるのも大変恐ろしいので、牛舎も奥に引いてしまいよく見えない。

 1月8日は、昇進した貴族たちが喜びの中、牛車を走らせている様子が特別なものに見え、趣深い。

 15日になると、望粥のお祝いの御膳をお供えし、その粥を作る際に用いた木のへらを隠し持って、家の女たちは女房たちを伺い見ながらその木で腰を打たれまいと注意し、常に背後を気にしている様子は面白いもので、(その木に打たれると、子どもが授かるという迷信があった)どのようにしてか、女房が女たちの隙をかいくぐり、女たちを打つのだろうか、上手いことヒットしたら大変盛り上がって皆が笑うのは大変朗らかな光景だ。打たれた者が悔しがるのは最もである。

 新しく女のもとに通い婚を始めたお婿さんが宮中にいらっしゃる頃になると女房たちはいつ自分がお仕えする女のもとにお婿さんがいらっしゃるだろうかとじれったく感じ、何かにつけて「今度こそ、私のところの姫さまのもとに・・・!」

と、どこかの婿君をこっそり覗き見たり、焦り気味になったりしている女房が、奥で女の傍で佇みながらその様子を見て笑う他の女房に「静かに・・・!」とジェスチャーで表しているが、女の方は何知らぬ顔で穏やかにしていらっしゃる。

「ここにある物をいただきましょう」

などと言って女のもとに走って近づき、例の粥を作った木のへらで姫様の腰を打って逃げたところで、そこにいる者皆が笑う。

 婿君の方も愛想よく笑い、特別に驚いたりはしない。だが、女はというと顔を少し赤らめており、それが情景として美しい。

 また、女房同士で腰を打ち合ったり、どうやら男性に対しても例の木べらで打ったりしているらしい。どのような心地でいるのだろう。最初は笑いつつ朗らかに迷信になぞらえながら打ち合っていたのが、いつの間にか泣いたり腹を立てたり、誰かを呪い、禍々しいことを言ってしまう人々の成り行きも面白い。

 宮中のような高貴な場所でも、この日は皆、騒ぎ乱れ、無礼講である。

〜続く〜

正月は、重要な年中行事で、15日までを松の内といいます。
後半に書かれた粥を作った時の木のへらについては、「粥杖の俗信」と呼ばれ、他の物語にも登場する慣わしです。
三「正月一日は」の段の正月についての記述はここまでですが、この後も季節の行事などについて話が続きます。


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