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中山間地の役割 〜農業エトセトラ〜

農業人口の減少が問題になって久しいと思います。
農業者の高齢化、後継者不足、物価の高騰などなど、抱えている問題は他業種の抱えている問題と同じです。

農業は「生業」としての側面と、環境保全の役割の2つを担っています。
環境破壊の面が取り沙汰されたりもしますが、日本では縄文時代から続く農業は自然に手を入れ続けた結果、営みを続けないと人間生活も脅かされるところまで来ているのではないかな、と考えます。

熊や鹿、猪などが都市部に出没するようになりましたね。
都会の方達は、野山の生き物が突然現れてびっくりされていることと思います。
これって、都市の境界線が里山に近づきすぎたことが原因なのではないですかね。
大規模な宅地造成が田舎でも行われていますが、宅地造成するところは土地代の安い場所で山間部に近いですよね。
また、山地にソーラー発電のパネルが並び立っていますが、野山の生き物の食糧供給源を減らしているのではないでしょうか。

今までは、都市と山の間に里山があって山の生き物との干渉地となっていた場所が、限界集落となったり廃村となったりソーラーパネルで埋め尽くされたりして、山の生き物が里山より下に降りてきやすくなった結果が、都市部への山の生き物の出現になったのではないのかな、と思います。

我が家にも山の生き物が降りてきます。
狸やカモシカが庭先に来たり、ハクビシンやイタチに野菜が食べられたり鶏がやられたりします。
でも、これが里山の暮らしであると当たり前に思ってきたので、動物が人間に危害を加えないよう距離を取りながら共生しています。
熊は恐ろしいですが、熊が出たら集落で知らせあって、気をつけながら生活をします。
漁師もいれば、猟師もいる。
そういう場所なので、里山として都市に山の生き物が降りてこないようギリギリの調整が行われています。
それもいつまで続くかわかりません。

農業をしていて、自分が農村の背景になっている瞬間を感じます。
道ゆく人が「春だな」、「秋だな」と感じる風景の一部に自分がなっている。
私が都会の映像や都会に行って、「都会だな」と感じる風景をスーツ姿で歩く方達に思うように。
農業をするということは、野生生物の生きる場所と人間生活で生きる場所の干渉地を守ることでもあるのかな、と思います。

農地の集約や農業者の集約を進めようとする効率化するのも大事ですが、非効率的に見えることが実は大事な役割を果たしている、ということもあるのではないでしょうか。
そんなことを考えた今週でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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