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選択の結果なのか、流された結果なのか  私は今も文章を書いている


#あの選択をしたから

選択したのか流されたのか

あの選択したから今があるというのはよく言われる言葉だ。

でも、正直なところ自分で選択したという自覚は私には乏しい。
なるべくしてなった。流されるままに今に至ったという感覚の方が強い。
それでも、やはり人生の岐路で選択を迫られたことはある。
多くの人は、受験というものを経験しているだろう。
私ももちろん経験している。

岐路とは

私の場合、高校選びが人生の最初の選択のような気がしている。

私は人の多いところが極端に苦手だ。ついでにいえば電車もバスも苦手である。
でも高校に通うとなると、苦手なことは避けることができない。

そこでいくつかの選択肢を迫られた。

学校自体が公立であること。
少人数制であること。
できれば、英語学習に力をいれていることだ。

自分で探していた時はだいぶ家から遠い学校で、電車にのる時間がものすごく長かった。

担任の先生がもってきてくれたのは家から近い学校であった。
しかも、その学校は少々特殊で普通科と商業科が一緒にあるために、推薦入試の枠が多く入りやすいとのことだった。

正直、最初は嫌だった。

なにせ、制服はダサい。
偏差値も低いという学校だったのだ。
とはいえ、一度も見学せずに受験するのも気が引ける。
しぶしぶ、学校見学をしたのだった。

すると気持ちが一転した。
学校の図書館の充実度がほかの学校よりも段違いに上だったのである。
こうして、本好きの私はその高校を受験し、見事合格したのであった。

やりたいことは突然に


入学した時には生涯のやりたいことにつながるものに出会うとは思っていなかった。
私は、ともかく本が読めれば幸せで勉強などどうでもよかったし、友人がいなくても、それはそれで幸せでいられる。
が、しかし奇特な人もいるもので私に話しかけてくれた子たちがいた。
まさか、その子達の影響で将来の目標ができるとは思ってもみなかった。

彼女たちはいわゆるオタクといわれる部類に入り、一部の業界ではアニオタといわれる子たちだ。
私はアニメも漫画も好きではあったが、アニオタというものではないと思っていた。
むしろ、ライトなオタクぐらいであり、車とバイクが好きなオタクだと自覚していた。
それが見事に覆される。

仲間の一人の子が、近くでイベントやるから出てみないかと誘ってくれたのだ。
イベントとはなんだ? お祭りか何かか?
と当時の私は思っていた。
詳しく聞くと、どうやら本を出して同じような趣味の人に配布するというイベントらしい。

ならば、本を出してみようではないかということになった。
しかし、私は何を書いたらいいのか全くわからずにいた。
友人たちが布教と称し、同人誌を色々と読ませてくれたのだ。

おもしろかった。
ただただ、おもしろかった。
商業誌にはない書きたいところだけの、山場もオチもない。
小説としてはつまらないものだろう。
書き手の「私はこれが好き」という情熱だけは、商業誌よりも格段にあった。
それがとても面白く、心地よかったのだ。

情熱に負けた

そんなわけで私は自ら、ペンをとり小説を書いた。
頭の中で展開されるものをひたすらに書き綴った。
もちろん、はじめて書くものなので出来は悪い。
しかし、とても楽しく、満足感があった。
もう、昼も夜も書いて書いて書きまくった。
たぶん、今では到底できないであろう無茶な書き方をしたと思う。

こうして初めての同人小説本が完成した。
手作り感満載のコピー本であったが、やり切った感がものすごくあった。
作品を書き上げたという優越感と寝不足のハイテンションが、すごくいい本に見せてくれた。

人気作家ではないかもしれないが

それ以降、何回かイベントにださせてもらった。
もちろん本は売れない。

そのような中でも、コメントをくれた人もいる。

どんなお話を次に書いてくれるのか楽しみです。」

この一言が私を今につないでいる。

私はまだプロにはなれてはいない。
しかし、懲りずに書き続けている。
読んでくれた人の一言が未だに忘れられないのだ。

高校受験という選択が、生涯のやりたいことにつながるとは思っていなかった。

私は今日も、誰かの「読みたい」のために文章をつづっている。
                           
                         須ノ又 深雪


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