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【医師コラム】日本が右肩上がりだったころの医師たち

■今とは時代が違う昔の医療業界
私が若い頃の忘年会といえば、飲めや歌えやの忘年会でした。今の時代とは全く違います。それはコロナ禍になる前と後の違いと言うだけではなく、「忘年会」の派手さが違うという意味です。

25年ほど前、日本の世の中はお金が回っていました。今ではありえない話ですが、手術の見返りに〇〇円。手術はVIP優先。など、みなさんもドラマで見たことがあるような時代です。さすがに白い巨塔のように、教授選でお金が動くという話は聞いたことありませんでしたが、政治家やどこかのブラックな社長が、マスコミの目を逃れるために入院しているなんて噂もありました。もし今、そんなことをしていたら大変なことです。

それでも、そんなことがまかり通っていたのは、とにかく時代がゆるかったからでしょう。新しい薬剤が出た時は、講演会をするのですが、その講演会はホテルで行われ、終わったあとは立食パーティというのが、当たり前でした。それが今では、薬剤の説明会で1時間拘束されても、ボールペン1本も渡されない。薬剤メーカーのコンプライアンスとはいえ極端すぎない?と思ってしまいます。それほど現在は、お金も規制も厳しくなったということでしょう。

■豪華絢爛な医局の忘年会
私の忘れられない忘年会は、そんな時代の、ある医局の忘年会です。私が所属していた小児科ではありません。先輩に誘われて出席した、ある内科医局の忘年会でした。

金沢駅前のホテルに設営された会場で、司会は地方TV局のアナウンサーが担当していました。内科医局の歴史から、教授や助教授から関連病院含めたスタッフまでが、ライトスポットで照らされて、今年一年の業績などを振り返っていました。ですがこれはメインではありません。長い前フリが終わって乾杯のあと、バニー姿の女性が現れてケータリングの準備。完全に男性社会ですね。年によっては金沢の温泉旅館に芸者さんを呼んでいることもあるそうです。

バニー姿の女性が壁際に立っているのに混じって、薬品会社の社員さんによる、ビンゴゲームやら助教授のマジックショーが始まりました。助教授のマジックショーなんて誰も見ていません。それでも、やるのが助教授です。
そんな中、お金のない若い私たちはというと、飛び上がるぐらい美味しい料理ととてつもない高いお酒しか見ていません。夢中になって飲み食いをしたものです。

■今からでは考えられないような好待遇な時代
忘年会も中盤を過ぎるとビンゴゲームが始まります。ビンゴゲームでは、大きなテレビやホームシアターセットなど、クリスマス特番の明石家サンタぐらいの豪華商品が並べられていました。忘年会自体は、様々な良いことと悪いことがあります。例えばいろいろな先生方と話ができて嬉しいこともあれば、聞きたくもない苦労話やウンチクも聞かされてうんざりしたりなど。これが本当の無礼講でしょう。

当然、若い私たちはちょっとでもバニー姿の女性と話したいのですが、その勇気はなく眺めているだけです。でも、一度だけ先輩に連絡先を聞いてこいと言われたので、勇気を振り絞って聞いたことがあります。会社がダメだと言うんですと断られましたが。

24時を過ぎる頃。さすがにみんな帰るのですが、幾つ用意したのか、お願いすれば客室に泊まることも可能でした。今から考えられないですね。だから今の研修医に話しても信用してもらえません。今とは全く違う時代のお話ですから。私の淡い夢のような思い出です。

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