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映画 「君たちはどう生きるか」

「輪廻転生」私がこの映画を見て、一番に思った言葉だ。

先日、夏から見逃していた、
宮崎アニメ「君たちはどう生きるか」を近所のシネコンで、
やっと見ることができた。
すでに、上映期間は終わっていたが、米アカデミー賞受賞❗を祝して、再上映が決まったからだ。

ちょうど学校の春休み期間だったが、観客は、子供は見当たらず、大人ばかりだった。

宮崎監督の、自伝的ファンタジーだと言う。

舞台は、昭和の戦前の日本。宮崎監督の、
分身と思われる少年、真人は、母を火事で失う。空襲も増えて、真人は父と共に、田舎へ疎開する。そこで、美しい、継母と出会う。
父の再婚相手は、実は、亡き母の妹だった。
そして、もうすぐ新しい、異母兄弟が生まれることを知らされる。

冒頭の、このシーンの描写だけでも、
真人が母を亡くした悲しみから、まだ癒されてないのに、いきなり、新しい母と、その子の存在を受け入れられるわけがない。
現実は、残酷だと思った。

都会から、田舎の学校に転校した真人は、
いきなり、いじめに会い、自傷行為をして、
学校に行かないと、家族に告げる。
田舎へ疎開した人が、環境になじめなかった話は、前にも聞いたことがあった。

そして、疎開した、不思議なお屋敷で、
青鷺に出会った。その青鷺に導かれて、
大きな庭にある、古い塔の、異世界へと
入ってゆくのだ。

真人を追って、継母の夏子さんまで、
現実世界から、いなくなるのだ。
この描写には、少しびっくりした。
私は、夏子さんは、真人のことが、実は
きらい(·邪魔な存在?)だと思っていたから。
夏子さんが、亡きお母さんの妹だと、
後で分かって、ああ、実は、血の繋がりのある、姉の子どもだから、最初から大切に思っていたんだ、と思った。

面白い存在だったのは、7人の、お屋敷の
老婆たち。まるで、「白雪姫」に出てくる、
7人の小人たちのようだと、思った。
真人が、異世界へ入ると、7人の老婆は、
小さい木の人形になって、ロシアの、
マトリョーシカを思い出した。
老婆たちは、人形になり、最後まで、
真人を守った。

青鷺は、最初は、真人と敵対していたが、
いつのまにか、助けあう友人(·同志)となり、
真人は、自分の傷ついた心と、自分を追ってきた夏子さんを救うため、異世界の奥へと
進んでいく。

老婆の1人のキリコさんが、たくましい女性として若返り、真人を助ける。
昔の、働き者の、強い日本の女性を彷彿とさせた。

そして、美しく、賢い少女ヒミと、真人は
出会う。ヒミこそ、実は、亡き母の幼い頃の
姿だった。ヒミと、異世界の入り口になった、古い塔を作った、亡き大伯父と、
ようやく出会う。

「この世界は、この積み木なのだ。少しでも、バランスが崩れたら、崩壊する」と、
大伯父から聞かされる。
「真人、おまえが、新しく積み木を積むのだ」と言われるが、真人は、断る。

「この世界は、そんな積み木じゃない」
そして、積み木はバランスを崩して、
異世界は、崩壊していく。

崩壊していく中で、必死で、真人は、
夏子さんを助けだし、ヒミが、母だと分かり、母に本当の別れと感謝を伝える。
青鷺が、真人に時々、ツッコミ?みたいなセリフを言いながら、真人と最後まで、
行動を共にする。青鷺は、親戚の変な?お兄さんみたいな存在だった。

無事に、現実世界にもどり、現実でも、
大きな庭にあった、古い塔は崩壊する。
そして、必死で2人を探していた、父にだきしめられる。

ラストシーン、戦争が終わり、夏子さんに、異母兄弟が無事に生まれて、真人は
家族4人で、都会へと帰るため、お屋敷を
出ていく。

私は、この映画は、真人の心象風景なのだろうと思った。子供の頃に、親を亡くすことは、大人になってからとは、ちがい、
世界が全く変わってしまう衝撃だと、感じる。子供には、親は絶対的な存在だからだ。
まして、愛情深い母親なら、なおさら。

その母を亡くして、日が浅い。
母に似た人でも、母とは呼べない。
当たり前だ。でも、真人は、その新しい母になる人を助けようとする。そして、
継母になる、夏子さんも実は真人のことを、
思っている。

異世界が崩壊した時に、真人は、新しい家族を自分に認めて、受け入れようと、
自然に決意できたのだ。真人は、新しい
自分になった。母の分身である、少女ヒミが、それを教えてくれたのだ。

それにしても、とにかく、鳥がたくさん出てきた。青鷺、インコ、ペリカンなど。
宮崎監督は、鳥が好き?なのだろうか。
宮崎監督がよく描く、大空へ向かって羽ばたく存在だ。

最後に、米津玄師さんの🎵地球儀が流れて、
映画のクレジットが完全に終わり、
電灯がつくまで、観客の誰も席を立たなかった。大人に、響く内容だった。

真人は、新しく生まれかわり、
そして、本当に、あたらしい異母兄弟ができた。だから、「輪廻転生」なのだ。

シネコンを出ると、ちょうどそばに立っている、大きな観覧車が、夜になり、
七色にライトアップしていた。「輪廻転生」のようだと、思った。

私は、父が年をとってから、生まれた子どもだった。(1人娘ではない)
人生の半ばを過ぎた父にとって、
生まれた私は、どんな存在だったのか、
と今も思う。

最後に、米津玄師さんの詩を。

僕が愛したあの人は
誰も知らないところへ行った
あの日のままの優しい顔で 今もどこか遠く

手が触れ合う喜びも 手放した悲しみも
飽き足らず描いていく 地球儀を回すように
(米津玄師🎵地球儀)

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