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卵巣機能障害でも子どもを産めました

15歳になって3ヶ月が過ぎても初潮がきませんでした。小学校5年生のときに、学校で性教育を受けていて、生理の話はそこで初めて聞いたように思います。今なら家庭で性に関する知識を親から話すことも増えてきたようですが、20年前は今よりもっと「寝た子を起こすな」でした。それでもなんとなく周りが初潮を迎えている中、遅れをとっていることには気づいていました。

母に「生理がこないんだけど」と打ち明けると、「いつ話そうかと思っていたんだよね」と返されました。二人で産婦人科に行くことになりました。

その頃から漠然と保育士に憧れていました。妹や、10歳ほど年の離れた従姉妹たちの影響だったと思います。素直に「子どもってかわいい」という思いはありました。中学生向けの保育園職場体験にも参加したこともありました。

産婦人科は混んでいて、受付の方から患者さんまでみんな女性でした。壁やソファは薄いピンクで、花が飾られていたりして、クラシックがBGMにかかっていました。不機嫌そうにソファぎっしり座る女性たちを見て、中学生女子には場違いな印象を受けました。でもここにいなきゃいけないんだなとも。

しばらく待って呼ばれ、診察室に入り、内診を受けました。内診台への先入観も嫌悪感もなく、足を開きました。ここは病院だし相手は医者だし、小児科で胸の音を調べるのと大して変わらない感覚でした。子どもだったのかもしれません。

卵巣が上手く働いていないとのことで、処方された薬はいま思うとピルでした。初日に飲んで、翌朝の吐き気が今まで体験したことがないほど辛く、同時に便意もあったので最悪でした。ただ、「辛いときは味噌汁などの暖かい飲み物を飲むといい」と病院で教えてもらっていたので、気休めに暖かいものを飲んで倒れていると、昼には少し改善していました。副作用に関しては、学校を遅刻するほどひどいときもたまにありました。

その後も定期的に病院に通いました。3ヶ月生理がないと予約をとって、一人で通うようになりました。まだ10代だったあるときに、自分のカルテに「卵巣機能障害」とハンコが押してあるのが見えました。「障害」という文字が重く、そこで初めてショックを受けて、「これって治らないんですか?」と先生に聞かずにはいられませんでした。「あなたはそういう体質ってことです」とあっさり返されて、崖から突き落とされたような気持ちになりました。
(こんなに子どもが好きなのに、保育士になりたいくらいなのに、自分は将来子どもが持てないのだろうか?)
悲しさと、受け入れられなさと、混乱と、でもまだわからないし、とすがりたい気持ちがありました。それでも卵巣に仕事を忘れさせないために、ずっと病院に通っていたのです。大学生になってからも。社会人になってからも。引っ越しても。

20代のときは生理不順で、決まった周期で生理がくるなんて都市伝説くらいに思っていました。生理がない分、生理痛もなければ旅行も行きやすいので、28日周期とかでくる人はかえってたいへんだなぁと思っていました。最初の職場は1年と少しで退職し、その後も何度か転職をしていたので、少なからずストレスの影響もあったと思います。

基礎体温は、初めて受診した頃はつけるよう言われていたのですが、いつからか止めていました。30歳を過ぎて結婚し、子どもを望んだときにまた基礎体温を思いだし、つけるようになりました。若い頃よりはホルモンが安定してきたのか、周期はバラバラでも排卵する日があることがわかっていました。ただ私の場合、月経周期が長いので、月1で排卵して生理がくる人に比べると妊娠のチャンスが少ないこともわかってきました。月1で排卵すれば受精のチャンスは年12回あるけど、おそらく私は年10回か9回だったと思います。

それでも排卵のタイミングがあったので、不妊治療はせず妊娠することができました。一人目を出産したあとは生理が再開するまで10ヶ月くらいありましたが、ズレはあるものの、妊娠前よりも周期的に生理がくるようになりました。 

もしいま卵巣機能障害で子どもを産めるか不安な方がいたら、「産めるよ」とお伝えしたいです。過去の自分へも然り。排卵すれば妊娠は可能です。薬で排卵させることも可能です。なので絶望しなくていいと、先輩は思うのでした。卵巣機能障害という字面に驚くけど、それで未来が決まる訳じゃないのです。


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