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「召還」(ショートショート)

 雨が降ってきた。牧野は舌打ちをした。なんだってこんなときに。図書館で借りた本が濡れてしまうじゃないか。
 自宅から徒歩5分の図書館に、来ているのだった。在宅ワークの昼休み。気分転換に外に出てみたらどこからか金木犀の香りがした。目当ての書架だけみて、返却期限が迫ったものを返し、すぐに帰宅する予定で本と財布と鍵しか持たずに家を出た。傘は、なかった。
 仕方ない。牧野は馬を呼び出すと素早く本をシャツの中に入れ、背中にまたがった。
「家まで急いでくれる?」
茶色い毛並みの艶やかな馬は、賢そうな目を牧野に向けたかと思うと、すぐに自宅に向けて走り出した。牧野が振り落とされないように、気遣いながら軽快に進んでいく。住宅街にアスファルトと蹄のこすれる音が和やかに響いた。
 家の前まで到着したとき牧野の全身は湿っぽくなっていたが、本には染み一つなく無事だった。
「助かったよ。ありがとう」
ドアの前で馬の鼻筋を撫でて声をかける。馬は目を細め、牧野が家の中に入るのを見送った。
 手早く着ていた服をハンガーで吊るし、乾いた服を身につけた。数時間すれば乾くだろう。本はダイニングテーブルに置き、パソコンの前に座ろうとして、足を止めた。その前にコーヒーを持ってこよう。キッチンにはコーヒーメーカーに保温されたコーヒーがある。ブルーのマグカップがシンクの中に置かれているのを見て、カップを洗っていなかったことを思い出した。
「まいったな」
 シンクには他にも、朝食の目玉焼きを作ったフライパンとフライ返し、パンを乗せた皿、箸、ジャムを掬ったスプーンや、昼食にラーメンを食べたどんぶりも入っていた。
 牧野はアライグマを呼び出すと
「ごめん、オンラインミーティングが始まっちゃうんだ。洗ってもらっていいかな」
と頼んだ。アライグマは慣れた手つきでスポンジに食器用洗剤を取ると、両手で揉んで泡立てた。大きい物から順番に手際よく片付けていく。
最後に泡を流すとカップの水気を布巾でぬぐい、コーヒーを注いて、デスクに向かう牧野まで持っていった。
「助かるよ。君も良ければ休んでいって」
アライグマは顔をこすると、またキッチンに戻って行った。
 今日の分のタスクを終えると18時を回っていた。大きく伸びをし、カンガルーにマッサージを頼む。心地よい強さで肩や腰を刺激してもらうと、血流が良くなった。雨はまだ降り続いている。
 カンガルーにも礼を言って別れ、有り合わせの材料で簡単な夕食をとり、片付ける。夕食後ソファーで読書するのが、牧野の日課であり至福の時間だ。寝室の電球が切れていたので、キリンに替えてもらった。口に電球を咥え、器用に回して付け替えてくれた。
 シャワーを浴びて寝室に入ると、先ほど呼び出しておいたアケミがベッドに腰かけて待っていた。
「添い寝してもらっていいかな」
アケミは静かにうなずき、牧野が横たわるベッドに滑り込んでくる。全身からいい香りがして、滑らかな肌は抱き締めるとふわふわしていた。
「そうしてまた朝がやってきて、僕は仕事を始めるんです」
白衣姿の医者はテーブルを挟んで牧野の正面に座り、話を聞いている。手にはバインダーとボールペン。
「こんな風に動物たちに囲まれて、僕は幸せなんです。ちっとも寂しくない」
牧野の視線の先には二人の間のテーブルに置かれた箱庭があった。一人の男を囲むように動物たちが配置されていた。まるで彼の王国のように。

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