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子育てとnote 両立のカギは「余力」

神経衰弱は本当に神経が衰弱する。


長男がルールのある遊びの楽しさに気がついてしまった。

神経衰弱はシンプルなルールだがなんとも楽しいトランプゲームで、僕も子どもの頃よくやった。

ついつい夢中になってしまう。

さて、ここでひとつ葛藤がうまれる。


子どもの楽しさを優先するか、大人の威厳を守るのか。

これは悩ましい。

威厳を守ると簡単にいうけれど意外と難しい。

スポーツなんかだと威厳を守るのは比較的容易かもしれない。

でも神経衰弱はときには運も必要だ。

それは誰にでも平等であり、子どもにも味方する。


いつでも大人が勝てるゲームではないのだ。


そして現に、僕は負ける気なんてさらさらなかったのにしっかりと負けてしまった。

それなりにくやしい。


子どもには余裕な風を装って、ワーキングメモリーをフル稼働させ、必死にカードの位置を覚える。

しかし、おっさんの脳と子どもの脳の性能差はすごい。

ただ純粋に楽しんでいる子どもに負ける。

大人は経験から色々と思考したり考察することは得意だ。

でも子どものような瞬発力はない。


まぁでも子どもの喜ぶ顔が見れたし、そんなもんで崩れる威厳などあってないようなもんだ。


子どもの成長を素直に喜ぼう。


そして、子どもが見ていないこのnoteで言い訳をしておこう。

一日仕事で、すでに神経をすり減らしていた僕。

しかも、noteに投稿する記事のストックもない。

記事を書く余力を残しておかないといけない状況だ。

だからフルパワーで神経衰弱に挑むことができなかったのだ。

こんな情けないことを子どもに知られるわけにはいかない。


親の苦労子知らずとはこのことか。

神経衰弱でも無双して、noteの記事もチャチャっと書けるパパじゃなくてがっかりするなよ。

君にもこの遺伝子が半分受け継がれているのだから。

他人事ではない。


そして今この記事をすり減った神経を奮い立たせ書いている。

なぜこんなに必死にnoteを書いているのか。

それは僕にもわからない。


もう書くことがルーティンのようになっている。

だけどこんなにも考察もなにもない感想のような記事をだれが読みたいのか。

しかし、何かを考察する余力が残っていない。

それほどまでに神経衰弱は神経が衰弱する。

この名前をあてた人は天才だ。


だってシンプルに覚えるゲームだから「メモリー」とか、2枚のカードをとるのだから「ダブルカード」とかなんかそれっぽいカタカナ語で表現できそうなのに。

わざわざ漢字で「神経衰弱」て。

このゲームがよほど苦手だったのかなと想像する。

本当に神経が衰弱する思いをしたのだろう。

その気持ちわかる。


神経衰弱という語句だけでゲームの内容を推察することは不可能だが、疲れるゲームなんだろうなというのは何となくわかる。

素晴らしいネーミングだ。


そのセンス見習いたい。


noteで一番難しいのはタイトルだと思う。

なかなかキャッチーなタイトルは思い浮かばない。

これが歯がゆい。
記事の内容を端的に的確に表現したいのに。


いつもタイトルは記事が完成してから考えている。

その時には記事作成で神経が衰弱しているので、衰弱したタイトルになっている。

元気な時にタイトルだけ量産しておくのもいいかも。

そしてそのタイトルから記事を創作していく。

色んな書き方を試すのも一興だ。


これから色んなゲームを覚えていく子ども。

それを一緒に楽しむ余裕のある大人を目指して神経を鍛えていかないと。

余裕は余力からうまれる。

余力を残すテクニックを確立する。

それが子育てとnoteを両立させる唯一の方法だから。


ではまた。


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