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ひとりの時間はめんどうくさい

自分ひとりの為に何かするってめんどうくさい。


例えば、家族がいれば掃除をしたり、食事を作ったりすることも苦ではない。

でもいざ、ひとりとなると突然無気力になる。

妻が育休明けで仕事復帰し、子どもふたりは保育園へ。

平日の休みは家に僕ひとり。

自分の時間が大幅に増える。

それは喜ばしいこと。

その有り余る時間をどう過ごそうか。

そう考えるのはとても有意義でワクワクとする時間だ。


あれもしたいなぁこれもしたいなぁと想像がふくらむ。

しかし、実際にひとりの時間が訪れたとき。

んーめんどうくさい。


となってしまう。

不思議。


何をしようかとあれこれ考えてワクワクしていたのに。

頭の中にふたり住んでいるとしか思えない思考の豹変ぶり。

どちらが本心か。

どちらが本当のボクなのか


時間がない時にあれこれ工夫して、趣味の時間に充てるのはとても充足感があっていい。

でも時間があると「あれもできるこれもできる」と気持ちが先走ってしまう。

すると途端にめんどうくさくなる。

なんてわがまま。

めんどうくさい奴。


でも何もせずボーっとするのはもったいない。

家族の為、と気持ちを奮い立たせて、洗濯や掃除は実行する。

えらい。


そして映画を見るか、溜まっている録画を見るか、本を読むか…。

と悩みながらこの記事を書いている。

すっかり習慣になってしまったnoteの下書きは「何をしようか」の選択肢には入ってこない。

隙あらば書こうとするからだ。

不思議とnoteはめんどうくさくならない。


どういうメカニズムなのか。

第3のボクがいるのではないか。


毎日投稿が苦痛な人は、ずーっと継続しているといつのまにか書くことが普通になる、第3の自分が開眼するから諦めないで。

さて話が少しずれたが、ひとりの時間をめんどうくさがらずに有効に活用する方法を模索していく。

まずはやりたい事をリスト化しよう。

そして優先順位と浪費する時間を考える。

それを推定される空き時間に落とし込む。

はい「暇時間撲滅趣味時間割」の完成だ。


うーん。

そこまでせんでも感が強い。

そんなことをうだうだ考えていないで、身体を動かせ!

いや、なにも考えずにボーっとしている自分もありだよね。

どんな自分も認めることから始めよう。

そーだそーだ。

誰も見ていないところではどう過ごそうと勝手じゃないか。

ボーっとしている内に宇宙がひっくり返るぐらいの何かしらのアイデアを思いつくかもしれないしね。

さぁくだらない事を書いている内に時間が過ぎていく。

欲しいモノがあるのでダイソーに行きたいが、とんでもなくめんどうくさい。

出不精ここに極まれり。


人間は年齢を重ねても根の部分は変わらないんだなと思う。

どう誤魔化しながら生きていこうか。

いや、大丈夫。

ボクは誤魔化すのが得意だった。

子どもころから言い訳は上手だった。
(大人が忖度してくれていただけかも)

だから自分をも誤魔化すのだ。

ボクはできる子。

そうボクは天才。

なんでもできる。

さぁお昼寝だ。


おやすみ。

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