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最高の合格実績を出しても、ライバル塾には絶対に勝てない理由 【ADHDは荒野を目指す】

 5-11.

 台湾人と結婚し台北に移住した僕は、日本人向け学習塾を設立しますが、ライバル塾H舎から、再三の嫌がらせに加え、訴訟も起こされます。

 賠償金三千万円に、営業停止処分を求めるこの裁判、敗れれば破滅です。相談を受けた陳弁護士は、勝てるかどうかは分からない、と言います。

 ただ、弁護士は続けて、その訴訟を取り下げさせられる可能性がある、と言うのです。

 身を乗り出す僕に、陳弁護士は言いました。
 ――内容証明を送るのです、と。

 ――『お前の会社は様々な違法行為を行っている。脱税、著作権法違反などは、証拠を持っている。特にベイシャンの社員時代、彼の所得税分を一切納税しなかった。これらのことに関して、場合によっては訴える準備はある』などと書いた、公式の文章を、弁護士の名義で送るのです。

 ――これを受け取ったH舎は、言外の意味をくみ取るでしょう。
 ――本当にこちらに訴える気があれば、わざわざ内容証明なんて送る筈がない。つまりこれは取引の申し出だ、と。
 ――だから、自分達が訴えを取り下げれば、自分達が訴えられることもない、と気付く筈です。

 うまく行けば、裁判は起こらないかも知れません、と陳弁護士は言いました。

 僕は、失望を覚えます。

 H舎の代表である金村は、自分の権利を守る為なら、どんなことでもする人間です。
 恐らく、こんな脅しなど、鼻先で笑い飛ばすでしょう。

 それは陳弁護士も分かっているらしく、内容証明程度でしたら、一万円もすみますから、と言い訳のように言う。

 確かに、望みは薄くとも、その程度の投資で裁判が無くなるのであれば、これ以上の幸いはありません。
 結局僕はそれに同意し、内容証明を送ることを依頼します。


 相談はこれで終わりです。
 僕は塾に戻り、強い不安を抱えたまま、仕事を続けました。

 それでも、三日後届いた郵便物に、僕はようやく安堵を覚えました。

 ――即座の営業停止を求めた『仮処分』申請が、却下された、というものです。

 つまりこれで、仮に裁判で敗れるとしても、最終的な判決が出るまでの一年以上の間、塾の経営を続ける猶予があるということ。

 ある程度の利益は見込めますし、何より、僕について来てくれた生徒達の多くを、卒業まで指導することは出来そうです。

 ただ――それでも。
 案の定、弁護士がH舎に送付した内容証明は、完全に無視されたらしく、一切の反応がありませんでした。

 腹を括るしかありません。
 幸い、仮処分却下のお陰で、塾での収益は確保出来たため、弁護士費用を支払う余裕はあります。

 僕は妻を通して、陳弁護士への正式な依頼を行い、手付金を支払いました。


 ただ、これにより――H舎から大幅減給されて以降、減り続けて来た貯金が、これだけ生徒を集めてこれだけ働いても、まだ増やせない、という状況に陥ってしまったことになります。

 それも、裁判が終わるまでずっと。
 いや、裁判が終わったところで、それが敗訴だったとしたら――賠償金を取られるし、営業停止になるし、勿論弁護士費用も一切返って来ない。


 現在に対しても、未来に対しても、強い不安を抱えたまま、ひたすらに働き続けるしかありません。

 ずっと暗がりを進み続けているようなもの。

 しかも、進んだ先に明るい未来がある保証は一切ない――さらなる暗闇が待ち受けているかも知れない。

 それでも、僕は前に進み続けるしかないのです。
 心はどんどん削れて行きます。

 けれども。
 悪いことばかりが続きはしませんでした。

 独立してから半年、年が改まり、生徒達の受験が終了します。

 僕の塾は、唯一の社員である僕一人が見られる範囲内での指導しかしていない。
 そして中学受験経験はあるものの、高校受験のない僕は、生徒のターゲット層を、中学受験をする生徒にほぼ限定していました。

 そしてその中学受験の結果が、素晴らしいものだったのです。
 六人だけの受験生でしたが、その全員が、第一志望に合格します。

 中でも、大野という生徒に関しては、とんでもない結果でした――第一志望に合格したのは無論のこと、その余勢をかってチャレンジした、日本一とも評される中学校に、見事合格したのです。

 この生徒に関しては、因縁浅からぬものがありました。
 H舎にて、僕が会社の暗部に気付いたことをきっかけに、担当授業を殆ど外され、月給二万円という絶望的な状況に追い込まれていた時期のこと。
 帰宅途上、大野の母親が僕を待ち伏せし、僕に迫ったのです――H舎で息子のクラスの担当に戻れないのなら、自分の塾を作ってくれ、と。

 本当に起業に踏み切ったのは、その訴えが直接の原因ではありませんが、重要な一因になったのは確かです。

 そして僕の開校と同時に、約束通り友人を引き連れてやってきた大野は、H舎からの再三の嫌がらせにも屈せず、僕の塾に通塾を続け、そしてついに、この最高の結果を出したのです。

 僕は大いに喜びましたが――それ以上に、安堵しました。

 大野が特別に優秀な生徒であるのは、誰の目にも明らかでした。

 それでも、彼が今一つ伸び悩んでいたのは、あくまでもH舎にろくな指導者がいなかったせいです。
 何せ、講師が問題の解答を板書し、生徒がそれをノートに写す、というだけの授業だったのですから。
 こうなってしまうのは仕方のないことです。私立中学の入試問題は独特であるため、普通の講師には、自力で解くことすら出来ないのですから。
 それでも、生徒がまだ子供であり、保護者も中学受験の経験がないことが多いため、誤魔化せてしまうのです。

 ただ、こんな指導では、どれだけ優秀であっても、まだ小学生である生徒は、ある程度以上伸びることが出来ません。

 そして大野が僕の塾に移って来て以降、僕は特別なことは何もしませんでした。
 ただ彼の勉強に付き合っただけ。
 彼が問題を解き、僕はそれを横で見守る。
 そして彼が分からなくなったり、非効率的な解き方をしたような時にのみ、アドバイスをする。それだけです。

 優秀な生徒には、馬鹿な足かせさえしなければ、これで十分に伸びる――僕はそう思っていましたし、その大野の受験結果が、それを証明してくれたのです。

 唯一得意な仕事である筈の『中学受験指導』にすら、実の所まだまだ自信不足を持ってはいたのですが、これで多少の不安は拭うことが出来ました。


 ただ、僕の塾のこの最高の結果を見て、多くの生徒が入塾問い合わせをしてくる――ということは、起こりませんでした。

 当たり前です。
 駐在員家庭においては、子供が中学受験に合格し、日本の学校に入学してしまうと、親子が離れ離れになるのです。
 流石にこれは避けたい、と思う家庭は多いのも当然です。

 しかも、外国在住の生徒には、『帰国子女枠』という、極端に有利になる受験制度がありますが、これも中学入試よりも高校入試の方で多く設けられているもの。
 無理して中学受験をしなくていい、と思う家庭が多いのも当然です。

 中学受験が中心である僕の塾が、どれだけの結果を出そうが、ある程度以上の入塾希望者を得られないのは、どうしようもないことでした。


 ――さらに言えば。

 僕の塾の受験結果は素晴らしいものでしたが、H舎のそれも、遜色がない――いや、明らかに上を行くものだったのです。

 当たり前です。
 H舎は、自分の塾に在籍した生徒であれば、受験の時期にH舎にいようがいまいが、その生徒の合格校を、自塾の合格実績として宣伝するからです。

 小学三年生の時に少し在籍しただけの生徒でも、模試を受けに来ただけの生徒でも、果ては喧嘩の末に他塾に移った生徒でも、全てH舎の生徒扱い。

 勿論こんなあざとい手法は、すぐにばれてしまうのですが――それでも問題ない。
 転勤ばかりの駐在員の世界です。日本人コミュニティのメンバーは次々入れ代わる。
 その間に、口頭だけの悪評はすっかり消え去り、看板にくっきり記されたその「合格実績」だけが、残り続けるのですから。

 これでは、出来たばかりの小さな僕の塾の実績が、H舎のそれを上回ることが出来る可能性は一切ありません。


 だから、僕の塾に生徒が殺到する――ということは、ありませんでした。

 それでも。
 開校当時からの生徒に関しては、親が転勤するケース以外は、そのまま在籍を続けてくれましたし。
 卒業していった生徒数を補充してくれる新規入塾者数は、しっかり確保出来ました。

 その上、自分の指導に多少の自信を持てた。

 久々に、良い時期を過ごします。


 しかし、そんなある日。
 何気なくコンビニエンスストアに行き、現金不足に気付いてATMに向かった僕は、とんでもないことを知るのです。

 ――お金が、下ろせないのです。

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