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ADHDは中学受験勉強をするべきか? その① 【ADHDは高学歴を目指せ】

 20.

 授業も聴けない、集中も出来ない、整理整頓も出来ず、計画も立てられない・守れない。
 そんなADHDの僕ではありましたが、様々な幸運にも恵まれ、京都大学に合格できました。

 しかし、社会に出てからは、そのADHDの特性ゆえに、失敗の連続。
 やりたかったわけでもない仕事を延々と行い、一時はそこそこ成功しながらも、結局全てを失う、ということを繰り返してしまう。

 とはいえ。
 僕は、何度もそこから再起することが出来ました。

 それには、『非常事態に強い』というADHDの特性が役に立ったのは確実ですが。

 それ以上に、京都大学を出ているという、『学歴がある』という要素が大きかったのは確かです。

 学歴のお陰で、『こいつには才能があるだろう』と思ってもらうことが出来て。
 多少の失敗も、大目に見てもらうことが出来たのです。

 ただ、とはいえ。
 『多少』どころではない失敗をしてしまうのが、この僕で。

 学歴のお陰で折角得たチャンスを、最後には失ってしまうのが常。


 ――それでも。

 結局そこで、諦めずに頑張ることが出来た。

 それは、京都大学どうこう以前に。

 やはり、自分には、『灘中学に合格した』という実績があったことが大きかったのは確かです。

 なにせ。
 灘中と言うのは、関西圏においては、『神様』扱いされている、と言っても過言ではない存在で。

 『東大京大それ以外』『早稲田慶応すべり止め』などという学校で。

 そんな学校に六年間も在籍したのです。


 そもそも僕は。
 灘中に合格したといっても、最下位での補欠合格。

 その後六年間、授業も聴けない、宿題もやらない、配布プリントもすぐになくす、定期テスト範囲や時間割すら把握できていない。

 そんな状況で、六年間ずっと最下位近辺をウロウロしただけ。

 高校時代、どんな模試を受けても、国立大学であれば、『志望校変更の必要あり』という判定しか貰ったことがない。

 しかも、勉強だけでなく。
 日常生活でも、友人関係でも、失敗ばかり。
 奇矯な振る舞いで何とか人目を引こうとする――それすら失敗する――ような有様。

 そんな、絶望的な十代を過ごした僕であるのに。


 それでも。
 その学校に合格したお陰で、僕は、『自分は本当は天才なんだ』と。

 根拠のない自信を抱くことが出来て。
 それが、最終的に、自分を支えてくれたのです。



 そして、灘中学に合格したことの効用は、ただ『自信を得た』ことだけではありません。

 その自由な校風は、ADHDである僕にとって、非常に有難かった。


 何せ、中学入学以降、授業も聴かず、宿題もやらなかった僕です。
 成績表を見ても、国語と体育以外では、十段階中4~6の評価しかなかった僕です。

 灘以外の中高一貫私立中学に入ってしまっていれば、高校進学を認められなかった可能性が高い。

 普通の公立中学に入っていれば、ひどい内申書のせいでまともに高校受験も出来ず。
 内申書の関係ない私立高校を受験しようにも、中学入学後学力も伸びていないため、良い学校には合格出来なかったでしょう。

 そんな、勉強面だけでなく。
 
 無能な自分を認識したことで、精神的に一切の余裕がない十代を過ごすことになった僕は。

 家出をしたり、ゲームをするためだけに親のお金を盗んだり、周囲に嫌な言葉ばかり投げつけたり。
 そんな幼稚な振る舞いばかりしていた。

 これでは、問題児として糾弾されたり、虐めの対象になったりする。
 その末に、爆発し、道を外れるような行為をしてしまう。

 そんな可能性は、十分にあったと思います。

 けれども、ひたすらに自由な灘校では。

 宿題をさぼったりしたことで、教師に叱られたり殴られたりすることはあったものの。
 周囲に嘲笑されることは多かったものの。

 灘校教師は、基本的に生徒を放置してくれるお陰で。
 そして灘校生達も、虐めのような幼稚なことは一切しないお陰で。

 僕は、非常に苦しみながらも。
 決定的に道を外れることはなく。
 どうにか、無事に卒業し、無事に大学に進むことも出来たのです。


 ADHDの特性に関する知識など、一切なく。
 周囲に理解してもらうことも、一切なく。

 無数のコンプレックスを相手に、独力で戦わねばならなかった、十代の僕。

 そんな僕でも、道を外れるどころか、高い『自信』を保ったまま成人できたのは。

 一にも二にも、『灘中に合格出来た』お陰なのです。



 ただ。
 ここまで僕は、ただただ『灘校』がADHDの僕に合っていた、と書いているだけ。

 しかし実際、どれだけ優秀な生徒でも、幸運がなければ中々合格出来ないのが、その学校。
 そもそも、関西圏の子供以外には、進学対象にもならない学校。

 『ADHDなら灘中を目指せ』など言っても、殆ど意味はないでしょう。


 けれども。

 もし僕が、灘中に合格出来なかったとしても。

 『中学入試のための勉強をした』というのは、その後の能力の伸びに関しても、非常に大きな影響を与えてくれたと思います。

 と、言うのも。

 『中学受験勉強』というのは、その後の高校受験・大学受験、或いは様々な資格試験に比べて、決定的な特徴があります。

 それは、最も『詰め込み』が通用しない世界である、ということ。


 ここに関しては、勘違いしている人が多い。

 中学受験こそ詰め込み教育である、と思っている人が多い。
 そして、実際、そう導いている指導者も数多い。
 というよりも、大半の指導者が、そう考えている。

 でも。

 自身、補欠とは言え灘中に合格した経験があり。
 指導者としても、灘中にも筑波大学付属駒場中にも開成中にも合格者を出してきた経験がある。

 そんな僕が、断言をしますが。
 これは、完全に間違っています。

 実際のところの中学受験は、生徒それぞれの『創意工夫する能力』=『創造力』が要求される世界なのです。

 勿論、ある程度の『詰め込み』は必要不可欠ですが。
 それですら、あの手この手の創意工夫をして、効率よく詰め込む必要がある――つまり、創造力が物を言うのです。

 それなのに、何故世の多くの人が『詰め込み教育』だと勘違いしてしまっているか――その説明は、次回に譲るとして。

 とにもかくにも。

 ADHDは、そもそも『詰め込み』が苦手である一方で。

 『創意工夫』する力というのは、ADHDに与えられた、数少ない『有用な能力』の一つなのです。

 そう。
 中学受験は、あらゆる試験の中で、ADHDにとってもっと適したタイプのものなのです。

 そして、その中学受験勉強をしたお陰で、僕はその『創意工夫する能力』を、さらに伸ばすことが出来たために。

 

 大学入試範囲までの勉強では、十分に通用したし。

 ADHDであるにもかかわらず。
 アドバイスしてくれる人もいない、参考にするべき人もいない。そんな状況下での、たった一人での台湾での起業・会社経営に、それなりに成功した。

 その能力全て、この中学受験勉強のお陰で身に付いた、と言っても過言ではありません。



 しかも。
 『誘惑に弱い』ADHD。

 そして世の中には、多くの誘惑があり。
 年長になれば成程、その誘惑に接する機会が増えてしまう。

 ADHDが道を外す可能性が増えてしまう。

 そう考えると。
 行動に多くの制限が出来る――誘惑と触れ合う機会を極力減らすことの出来る幼少期は、ADHDにとって、『ボーナスタイム』のようなもの。

 中学に入り、ゲームその他様々な誘惑に溺れてしまった僕も。

 一切娯楽のなかった小学校時代は、何の不満も抱かずに、勉強に専念出来たし。
 そもそもそれを『楽しい』とすら感じることが出来たのです。

 そして、その経験が。
 その後、誘惑に負け続ける大人になってからも。
 苦しい勉強に耐える、その下地になってくれたものです。

 僕の親は、図らずも、このADHDにとっての『ボーナスタイム』を、十全に活かすことが出来た、ということでしょう。



 こう考えると。

 灘中云々は置いておくにしても、ADHDであれば、中学受験勉強は是非ともさせるべきものだ――と、言いたくなるのですが。

 必ずしも、そうは言い切れない要素があります。

 というよりも、むしろ。

 ADHDにとって、中学受験勉強が非常な害悪になる――子供の道を踏み外させてしまう原因になるケースだって、少なくない。

 幾つも目の当たりにしてきた実例から。
 僕はどうしても、そう思ってしまうのです。

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