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寄り道を繰り返すADHD 【ADHDは荒野を目指す】

 3-25.

 モシで数日滞在した後、タンザニアの首都であるダルエスサラームへと移動します。

 福本は、西方へと去って行きました。
 強盗に遭うという恐ろしい体験をしながらも、一人旅を続けられる、その精神の強さに感心しつつ呆れもしながら、僕は彼を見送ります。

 一方の僕は――流石に、流石にそろそろ帰国しなければなりません。

 それでも、中々その行動が起こせない。
 ダルエスサラームの宿で、僕はダラダラと日々を送ります。

 ダルエスサラームは都会であり、人通りが多い。
 それまで居た田舎町とは事情が違い、ケニアのナイロビ同様、かなり治安が悪いと聞きます。
 福本の件を思い出すまでもない。宿の二軒隣の銀行に強盗が入った――なんて事件もあったりもしたのです。

 それでも、多少アフリカに慣れた気持ちでいた僕は、勿論人通りの多い時間帯、比較的安全そうな場所だけを狙って、ある程度の街歩きをしたのですが――その度に、心が寒くなります。

 街中には、大勢の若者がたむろしていました。道端で、何をするでもなく。
 その彼らが、通りがかる僕を見る度に、言うのです。

 ――チャイナ、チャイナ!
 ――ジャッキーチェーン!
 ――ティーチャー、ティーチミークンフー!

 街を歩く僕に対し、物珍しいものを見た時の反応――ではなく、明確に、嘲るような口調で。

 一人や二人ではない。
 ほぼ全員が言うのです。

 勿論僕は、言い返そうとする――が、何も出来ません。
 勝てる筈もない相手です。
 僕は目を逸らして、とぼとぼとやり過ごすしかありません。 


 そして、ふと思い出します。
 マサイマラ国立公園のツアーにてレストランに入った際、何故か僕だけ、同じグループだった他の欧米人とは別のテーブルに、通されたことを。

 文句を言って同じテーブルについた後、僕にだけ水も出されず、オーダーもとられなかったことを。
 他の欧米人を通してしか、注文も勘定も出来ませんでした。


 ほかにも何度か、同じように無視されることがありました。

 勿論、全員が全員がそうではありませんでした。
 田舎の方では、僕に非常に親切にしてくれる人は居ました。
 また、僕の態度にも問題はあったのかも知れない。

 でもやはり、少なくとも僕にそういうことした彼らには、東洋人に対する差別意識があるのは、間違いないように思えます。


 虐殺、強盗、差別。

 僕はアフリカ大陸の旅に、ほとほと嫌気がさします。

 いつでも僕を歓迎してくれたアジア各国と比べて、何と居心地の悪いことか。

 もう、こんな場所には居たくない――今度こそ、本当に日本に帰ろう。
 僕はそう、強く思います。

 
 そして僕は、フライトチケットを求めに旅行代理店に向かいます。

 けれども――そこを出た時の僕は、航空券の代わりに、ザンジバルという島に向かうチケットを握りしめていました。

 日本が大好きだと言う代理店の男性が、丁寧な口調で言ったのです――日本に帰るのはいつでもできる、でもザンジバル島ほど素晴らしい場所でリラックスるするは、中々出来ない経験だぞ、と。

 聞けば、そこは風光明媚な一大リゾート地だと言います。治安も良く、綺麗なビーチがあり、うまい海鮮が食べられるという。

 思えば、その長い旅の間、そんな場所に滞在したことがありません。
 標高四千メートルの街や、電気もこない村で、長期滞在をしたことはありますが、「リゾート地」とは程遠い世界です。

 というよりも、考えてみれば、僕の人生の中でも、「リゾート地」と呼ばれる場所に行ったことは一度もない。
 行きたいと思ったことさえも、一度もないのですが。

 貧しい場所ばかりでなく、そういう場所に行っておくのも、一つの貴重な経験といえるのではないか――そう思ったのです。


 そして僕は、バスと船を乗り継ぎ、ザンジバル島へと辿り着きます。

 代理店の男性の言う通り、そこは素晴らしい島でした。
 宿は清潔で快適だし、海鮮料理も美味しい。
 ビーチは綺麗だし、有難いことに、人がとても少ない――お洒落な欧米人カップル達の中で一人ぽつんと座っている、という状況にはならず、ただ一人、ビーチでぼんやりと寝転んでいられます。

 何より気に入ったのは、そこにはイスラム教徒が多くいたことです。

 アジアを旅して来た中で、イスラム教徒にはかなりの歓待を受けました。敬虔な彼らはそもそも旅人に優しいし、日本のことが大好きである人が殆どです。
 道を歩いていると、ジャパニ、ジャパニ、と手招きされ、ホットミルクティをご馳走になる。僕がそれを飲んでいる間、彼らはひたすらに日本を誉め続ける。

 流石にザンジバルのイスラム教徒たちは、僕に話しかけもしないし、紅茶を奢ってはくれません。
 でも勿論、侮蔑の言葉を投げかけもしません。
 ただ、歩いて行く僕を、微笑んで見送るだけです。

 それが僕には有難い――誰にも邪魔されることなく、イスラムの古い街並みや、真っ青な海を眺めながら、のんびり歩くことが出来るのです。

 アフリカに着いて以降、ずっと張りつめていた気持ちが、ようやくほぐれて行きます。

 僕はその島で、一週間を過ごしました。
 十分リラックスをした僕は、ザンジバル島を離れる船に乗り込みます。


 そしていよいよ、本当に日本に帰るべく、旅行代理店に向かいます。

 けれどもそこで、日本が大好きだと言う代理店の男性が、前回のザンジバル島に続き、またもや提案してきたのです――日本に帰るのはいつでもできる、でも、今しか見られないものがあるぞ、と。

 またもや、寄り道を提案されたのです。


 僕はそもそも、幼いころから、家に真っすぐ帰ることが出来ない子供でした。
 道端にあるものが気になって仕方がなく、あちこち寄り道ばかりして帰りが遅くなり、その度にひどく叱られたものです。
 それでも、寄り道を止めることが出来ない、ADHDの子供でした。


 そして大人になっても、会社を辞めアジアに飛び出し、アフリカまで流れて――寄り道をやめない僕は、結局、もう一回の寄り道を決意してしまうのです。


 旅行代理店を出る時、僕が手にしていたのは、隣国であるザンビアへ向かう、夜行列車のチケットでした。

 僕を地獄へと落とす、列車の。

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