父の苦労を知った日

いってきまーす!

いってきます!

前までずっと、これだったのに、今はどうして、何も言わなくなってしまったんだろう。いいや?考えるべきはなぜ言う意味が無くなったか。である。

私の母親は、私を産んだ時に亡くなってしまった。必然的に、私の子育ての負担は全て父親にかかってしまった。

私は中学生になって、父親に対して初めて申し訳ないと思った。父親は辛そうな顔なんて微塵も見せなかったから…私は気付けなかった。

てっきり、父親は幸せだと思ってた。だって、「いってらっしゃい」の声も明るいし…お弁当も美味しいし…夜遅くのただいまの声は聞いたことがないけど…でもきっと、明るいし。

中学生になって、周りはスマホを持っていたけど、私だけ持っていなくて…それが辛いって父親に言ったら、初めて父親に無理だって言われてしまった…。それから、父親を少し嫌うようになってしまって、学校の先生の愚痴も友達との話もまともに父親に話さなくなった。

そんな時だった、ある夜。私はその時初めて、父親の「ただいま」を聞いた。寝室にベットはない、床の上で布団にくるまって寝たふりをした。

父親のただいまは暗くて、上手く聞き取れなかった

すぐ近くにある部屋、リビングから、父親の1人ごとが聞こえた。

「はあ、スマホか。買えないって言って、がっかりさせちゃったよな。」

「今度の授業参観も、行けなさそうだ…。もっと働かなきゃスマホ…可哀想だよな…。はぁ…。」

私は布団の中で、父親の本当の気持ちを知り、泣いてしまった。父親はずっと、1人で抱え込んでたんだろうな…

それから、私は目の下にくまができようが、頬にニキビができようが、毎日遅くに寝た。父親が心配で…心配で。

だけど、そんな日々はそう長くは続かなかった。父親は、ある日、家に帰ってきた時に倒れてしまった。

どうやら、過度なストレスによるものだという。

中学3年、まもなく卒業、そんな時期なのに、みんなはあまり悲しくなさそうに見えた。きっとみんな連絡先でも交換してるんだろう。どうせ、みんなまた会えるんだろうな。でも、私はどんなに友達が出来ようともそれは出来なかった。

でも、私が本当に悲しかったのは、家を出ても、あの元気な笑顔な「いってらっしゃい」がないことだった。

父親はあの日から病院にいる。

私は窓を見た。そろそろ桜が咲き始めたころだ。

病室の、綺麗な白色のドアを開いて、私は言った。

「ただいま!」

「おかえり。」

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