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正しさの主張からは何も生まれない。

みなさんこんにちは。
接客業をしていると、お客様からご意見や、お叱りをいただくこともあります。中には悪質と思われるものもありますが、そのほとんどの原因がお客様とスタッフ間でのコミュニケーション不足で発生するものが多いです。

「お客様は神様」というパラダイムはもう崩れ、お客様と店員の関係性はフラットという考え方が定着しつつありますが、クレームを出してしまった当事者と話をすると、「自分の正しさ」を主張してくることが少なくないです。そして、その「自分の正しさ」の根拠は、店側が一方的に設定しているルールやマニュアルだったりします。

これはかなり極端な例ですが、あるセルフうどん屋でお客様から「いつもより麺の量が少ない」とのご指摘を受けました。すると、うどんを提供していたスタッフが、お客様の前に秤をドンと置き、丼から取り出したうどんの重さを測りました。そして、「お客様、規定量が入っています…。」と言いました。まさにスタッフが「正しい」ことを主張したのです。
お店で決まっているマニュアル、レシピ通りに調理してます。間違っているのはあなたですと言わんばかりの態度です。果たしてこのお客様は次にご来店されることはあるでしょうか。

この場面では、正しいか正しくないのか?勝ちなのか負けなのか?はあまり関係ありません。強いて言うのであれば、お客様に恥をかかせた時点でサービス側の負けです。

このお客様が悪意を持っていなかった場合、公の場で恥をかかせてしまうことになります。それこそ、サービス従事者としては恥ずべき行為だと私は思います。必要なのは正しさではなく納得感です。接客するスタッフは人間です。時には間違います。そしてお客様も人間です。当然、時には間違います。

ルールに沿ったマニュアル一辺倒の対応であれば、もう人である必要はないのです。最先端のオーダーシステムや配膳ロボットがいい仕事をしてくれます。人が接客するのであれば、人の価値を発揮しないと意味がありません。

私の好きなスターバックスの接客の基本に「カスタマーサービスコミットメント」という考え方があります。これは、お客様に対して「察する→つながる→応える」という接客の流れです。ルールでこう決まっているからこうするではなく、パートナー(スタッフ)が自らの意思で考えて行動することで、お客様に心を寄せた対応をすることが可能となるのです。

先程のセルフうどんに話を戻します。もし、あなたがお客様の立場だったとします。いつもより量が少ないと感じて申し出たら、スタッフは笑顔でちょっと多めに麺を入れてくれました。でも、後になってもしかしたら「自分の勘違いだったかもしれない」と感じたとします。どんな気持ちになるでしょうか?きっと、お店に対して申し訳ない気持ちと、自分の間違いにも寛容に対応してくれたスタッフに感謝の気持ちを持つのではないでしょうか。

どちらかが先に歩み寄ることで、前へ進むことができます。たとえお客様のご意見に「納得」はできなくても、「話を聞く」「受け止める」ことはできます。そして相手に心を寄せて、想像力を働かすことで解決策を考えます。

ここでは「麺の量が正しいかどうか」はあまり大きな問題ではないのです。
お客様自身もスタッフとの関わりの中から、気付きを得ていただけることがあります。ところが「あのお客様は間違っている」と決め付けて接してしまうと必ず分断を生みます。結果として「どちらが正しいかの戦い」になってしまうのです。

『世間の人に優しくし、助けなさい。大切にするべきことは、弁解の余地を持たせておくこと。それが人徳である。』

これはお釈迦様の言葉です。他人の欠点を責めるのは簡単ですが、完璧な人間など誰一人いません。お客様も、スタッフもです。できることは、相手に心を寄せて接することだと思います。

接客とはコミュニケーションそのもの。
奥が深いですね。

読んでいただきありがとうございます。

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