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人の強さは優しさと言われる理由

こんにちは
まだ鼻ズルずるしてるあけナースです。長引いてる。

メルボルンに来て気づいたことについて今日はシェアしたいと思います。

私は、日本の一般家庭で生まれ育ち、父は大工の棟梁で、母は看護師だったので、共働きなこともあり高校生までバイトもしなくて良いと言わられ、欲しい物は大体周りにありました。
そんなに物欲もなかったですが。
裕福だった方だと思います。

なので、何も考え無くても、良かったのです。

お金をどうやって稼ごうとか。お小遣いもらおうとか。

そして、看護師として働いてきたお金の貯金と、奨学金と銀行から借りたお金で私は今メルボルンに居ます。

自分でなんとかして工面したお金でギリギリの生活をしているメルボルン。

最近気づいたことがあるのです。

人の生きるのに必要な衣食住。
本当その通りだなって考えさせられます。

仕事が1つ無くなり、1つ銀行が今使えず、お金がそこを尽きてきた最近。
バイト決まるまで困ったな。と思っていました。

学費はもうすぐ支払いくるし、日本の保険も払ってるし、日本で借りたお金は引き落とされるし、オーストラリアの家賃は引かれるし。

さて、入ってくるのは限られている。なら、どれだけお金使わないようにするか。
家賃はまだ払える。
他削れるのは、食費。
スーパーに行っても、結局スルーして高くて何も買う気になれないことが多々。

そんな時、あることを思い出しました。

私はラッキーな事に凄い素敵な場所に以前住んでいました。
その名もFootscray。ベトナム人街がある街で、個人的には下町感と汚い感じが結構好きです。安いし、便利だし。皆んなはなんでそこ選んだの?って聞いてくる場所でした。住めば都。今でもよくぶらぶらします。

私が以前住んでいた時、毎週月曜に長い列が夕方になると現れていて、なんだなんだと、友達と最初見に行きました。

その列は、ボランティアの人たちが食材や、ご飯、飲み物を配ってくれるのです。

実は仕事がまだない時2.3回並んだことがありました。

それを覚えていた私は、今の家も遠くないので、仕事が決まるまでの間食材をここで調達する事に決めました。

17時半ごろから配られるこのイベント。
久々の私は張り切って、夕方4時過ぎに家でて、最低2つ袋持って、並びました。
もう慣れた物。いっぱいくれるから2つ袋居るんですよ。www

久々に並んでみて、感じたことは色んなことが見えてくるのです。

前の方に野菜やら、食材、ジュースが置いてるセクションがあって。

スーパーのカートで前から順番に、パンは配ってくれたりします。

前のセクションに、ピザの生生地があって、これも欲しいって言ったら、ここのセクションからは一個しか選べないよ。と言われて、餃子の皮の方が欲しかったからそれをもらって次のセクションに行くときに、後ろの人がこれ私いらないからあげるとくれました。

めちゃめちゃ良い人やん。
並んでいる人はお金ないかもしれないけど、心は全然貧しくなくて、結構みんな優しいのです。

そして、この時期なので、防寒具であるコートや、マフラーや子供服も必要な人には配ってくれます。

いやぁ、凄い。もうリスペクト。毎週ですよ。
配ってくれる食材は期限が間近のものもありますが、助かるー!食べれたらなんでも良い。

私の食卓がこのおかげで果物、卵、野菜、ドリンク、パンで彩られるのです。2週間は持つw

ここに最近、2週間おきに通ってみて気づいたことがあります。

私はお金がある程度あった時は、絶対ならばなかったと思う。
なぜかというと、見下しているわけではないですが、なんだか恥ずかしいと多分思う気持ちが少しあると思います。

日本では並んだことないし。

でも、人って不思議で
生きていくには何が必要か考えた時に、食べ物タダでくれて、しかもそれで2週間料理が出来るハッピーが待っていると思うと、並ぶに決まってるやん。となります。

しかもマフラー可愛いのくれて、ラッキーって巻いてたら、それめっちゃ可愛いね!ってオシャレなレギュラーカスタマーに言われました。
そうでしょと言っときましたw

マフラーの価値なんかそんな変わんないんですよ。
どこで買おうが、もらおうが、拾おうがww
誰も知ったこっちゃないw

多分どこからもらったか分からないのが嫌だとか、何だとかいう人が増えていると思うけど、どんだけものが溢れてる世界か分かりますよね。

自分もそうだったから、めちゃめちゃわかる。
で、気づいたのは物やお金が無ければ、生きる上で必要なことか、そうじゃない事か、めちゃめちゃクリアに見える。

私は列に並んでいても恥ずかしくないし、それが今の私の現状。私は自分の事を理解してるし、並ぶことでハッピーになることも分かってる。

人の目が気になる人は、その人たちの評価が生きていく上で必要と思ってるのかも知れないけど、自分に必要な物は必要なんだから人の目なんて気にしてる場合なのかと思うけど、多分まだ色々余裕がある人がそう思うんだと思う。

私は食材もらってきた日はめちゃめちゃルンルンで鼻歌いながら毎回帰ってましたwww
見てーってシェアメイトにも自慢して。 

外から見てた世界は、中に入って見え方が変わるので、面白いなぁと思いました。

私がいつも並ぶ時に比べていたのは、スティーブジョブズ。スティーブ・ジョブズはお金ない時、何マイルも歩いて教会のご飯を食べれる週一回の日が楽しみだったと。いやー、少し気持ちがわかる様になりました。

ホリエモンは貧しかった時は粉もん食べていたそうな。

なるほど、やばくなったら粉もん食べようと思ってました。www

こういう強く生きる人たちからたくさん学んで、まだ私全然生きていける。と思う様にしてました。

時に何も無いのは、沢山ものを持っている人たちより実は小さな幸せを、人に感謝する事を、より感じているんじゃ無いかなと思います。

たくさん買いたいものを買っているのに、満足していない人はきっと満足していないのは、足りてないのはそこじゃ無いんでしょう。

どちらが幸せなんだろうか。

一回皆んな何も無くして、親がいるサポートもないと思って、昔の人たちの様に生きていく事に、食べることに、毎日捧げてみると鬱になったりとかそんな暇もないと思う。

人はしてもらった優しさの分しか人に与えられないそう。
優しくしてもらっていても、裕福すぎたら当たり前と思う。これはとても損をしているんじゃないかなと個人的には思います。

誰がだめ、今の若者がダメ、日本がダメ、裕福がダメ、そんな話では無く、私は37歳でまだまだ見えないものが沢山あって、海外に来て何も無いサポートと現実と自分に向き合えて、強さとはこういう事なのかなと少し気づくことができました。

つまり、自分を理解している人は強く
転けても立ち上がれる
そして
優しい

たまには、環境変えるってとても大事。

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