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お金を使わない幸福

私の母親がそうだったのか時代がそうだったのか、
私が小さかった頃、1990年代前後というのは、
物質的な何かをたくさん買うことと、幸福な生活というものが
強烈に結びついていたように思う。

何をあんなにたくさん買っていたのか、謎なほど、
両手に抱えきれないくらいの新しく購入したものを持って
家の玄関をあけ、帰宅する。

どさっと新しく買ったものたちが家の中に置かれ、
次々に開封され、
「たくさん買ったね」と嬉しそうに話す。

何を買ったのかという内容ではなく、
たくさんの物を買うことができたことの方に
幸福感を見出していたように思う。

そんな風にして育てられてきた私は、
幼い頃はその状況を鵜呑みにせざるを得なかったものの、
大人になるにつれて、少しずつ違和感を覚え、
新たに買うものを減らし、すでに持っているものを手放すようになった。

先日ほんの少しの間タイに行ってきた。
そして日本に帰宅して思ったことは
日本にいると物を買わせようとする空気感に押しつぶされそうだ、ということだ。

どこを見渡しても、なんとかして買わせよう、売りつけよう、
良さそうに見えるものをどんどん売ろうという空気を感じてしまう。
一見楽しそうに見える消費も、その買え買えオーラに一度気がついてしまうと
とても疲れるものに感じられる。

タイでももちろんたくさんの物が売られていたし、
お店の店員さんも日本と比べて格別売る気がなさそうに仕事をしているわけではない。

しかし、言葉にならない、目に見えない何かが
明らかに違うのだ。

日本では不思議と、物を買わないと幸せになれないような気になってしまう。
本当はそれは嘘なのに。

物を買うか、買わないかで、幸せは決まらないし
たとえ物で買うことが出来る種類の幸せがあったとしても、
それはごく一部であり、一過性のものなのだ。

節約術として「ノーマネーデー」「お金を使わない日」を設けるという方法があり
ネット検索をすると、それに挑戦してみた人たちの様子を読むことができる。

厳密に言えば光熱費だってかかっているし、家賃だって日割りでかかっているとも言える。
持ち家でも固定資産税はかかっているし、いろんな意味で全くお金を使っていない日と言えることは難しいのだが、
ここでいうのは新たに財布を開いて出ていくお金をゼロにする日を「お金を使わない日」としているのだ。

簡単に出来る挑戦だし、もし興味があったらぜひ1日でもいいのでやってみてほしい。
今日はお金を一円も使わなかったぞ、と感じられることは
とても穏やかな気持ちにさせてくれるものだ。
安心してホッとする。

すでに流行遅れなものかもしれないが
今年はお金を使わない日をなるべく増やせるように意識してみたい。

ここで重要なのは、節約はもちろんだが
お金を使わないことによる幸福度の高さを感じる日を増やすことだ。

お給料が時給100円上がったところで、何も解決はしないのに
社会は時給を上げたぞと、大手を振ってくる。
自己防衛から幸福を作っていくしかないのが今の世の中なのは明らかだし、
これが急に変わるとは到底思えない。

お金を使わなくても、本当に幸福であることは
十分に可能だ。

むしろ、お金をじゃんじゃん使っているのは格好良くない気さえしてくる。

お金を使わない人は、もしかしたら新しいクールの代表になるのではないか。

私は私が感じる格好いい生き方をやってみたい。

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