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わらしべ長者は幸せか?

 以前から興味のあったオープンダイアローグに、期せずして体験する機会を得た。オープンダイアローグとは、当事者やその家族、関係者を含めた複数人の対話によるメンタルケアの手法である。

 オープンダイアローグの進め方には、状況やファシリテーターによっていろんなスタイルがあると思うのだが、わたしが参加した場では、2つの物語の紹介が対話の糸口とされた。ひとつは日本の昔話「わらしべ長者」、もうひとつはグリム童話の「幸福なハンス」。

 この2つのお話について、モノを次々に交換して「幸せになって」いくという展開は似ているものの、読後の印象はかなりちがうものだった。わらしべ長者の主人公は感情が読み取りにくいのに対して、ハンスのほうは彼のさまざまな気持ちがはっきりと描写されている。最後は幸せで叫んだと書かれているほどだ。わらしべ長者は、大きなお屋敷を手に入れて裕福になって、本当に幸せを感じていたのか?
 主人からもらった金のかたまりをさっさと別のものに交換してしまうハンスのことを、参加者のひとりが「せっかくあげた主人の気持ちはどうなってしまうのか」という感想を述べていて、それはわたしにはない視点だったので驚いた。確かに、ハンスには周りのひとたちの気持ちを慮ったり、将来の不安を感じたりする様子はまったくない。常に「今」自分がどう感じるか、嬉しいのか楽しいのか疲れているのか、その感覚にひたすら従っているだけだ。今のトレンド(?)として、社会や周囲の人間に合わせるよりも、自分が感じていることを大切にして、それに素直に従う生き方が善しとされている。コロナ禍以降は特に、たとえばお金のために自分が快く感じられないような仕事を我慢してやったりするようなことはナンセンスだという考え方がだいぶ浸透してきている。そうなると、ハンスみたいな生き方は今っぽいといえるのかもしれない。
 だけど、この話を読んでいて、わたしはハンスの行動のいちいちが危なっかしくてハラハラしてしまった。そんな風に自由に生きられたらという憧れはあるが、なかなかやろうと思ってできるものではない。こんな性格だからいつまでたっても生きるのがしんどいのだ。こういう性質はもうたぶん変えられないから、それで多少つらさを感じても仕方ないと受け入れるほうが良いのだろう。不幸と感じるような事態に陥ったとき、せめて他人や環境のせいにはしないようにしたい。

 



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