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おみくじの引き寄せ 「大凶」が2度出てホッとしたお話

そこそこ年齢を重ねた方であれば、一度くらいは「何もかもが上手くいかない」と感じた時期があるだろう。

身体も心もボロボロだった(と思いこんでいた)頃、鶴岡八幡宮でおみくじをひいた。

人生初「大凶」を引き当てた私は心の底からホッとした。「ああ、やっぱりね。今が一番悪い時なんだな。これからは上がっていくだけだ」と希望すら感じた。


とは言っても、おみくじの紙を開いて、「大凶」という文字を目にした瞬間は、とてもとても驚いた!

「え?嘘でしょ?大凶なんてあるの?大凶なんて引けるの?!」

身近な人に「大凶」を引いた事が経験がある人はまずいない。ある意味、宝くじに当たったかのような稀なケースである。


試しに2回引いてみる→「大凶」を再び引き寄せた

「おみくじなんて当たらない」なんていう人も多い。そもそも、そのくらいの気楽さを持って楽しむものでもあるだろう。

しかし、稀である「大凶」を引いた私は自分の当時の状況とのリンクにあまりにも「当たっている」と感じた。
でも自分を信じきれない自分にもう一度問いかける意味もあったのだろう。

さすがに同じ日に、2度「大凶」を引き当てる人はなかなかいないだろう。
その希少さが、妙に真実味を帯びてきたのだ。


「これは本当だ。どこかで誰かがちゃんと見てくれている。」

そう感じた。
こんな自分が一番落ち込んでいる時に「大吉」なんて引いてしまったら、気持ちの切り替えが難しい。むしろ更に希望がなくなる感覚になるだろう。

また、「吉」や「小吉」だと、なんだか中途半端で、もやもやした気持ちになったと思う。
「え?まだこの辛いの続くの・・・?まだ落ちるの・・・?」
そんな救いの無い感覚に陥っていたかもしれない。


「大凶」は希望をくれたギフトメッセージ

今は今でしょうがない。諦めるというか手放すというか・・・
とにかく受け入れる事が出来たのだ。やっと・・・ね⭐︎


自分探求の始まり

さて、その辺りから私の自分探求が始まった。
小さい頃から、感受性が強く、いろいろなものを感じていた。

でも使い方を知らなかった。
自分は変なんじゃないかな?

空を見上げると「何か大切なことを忘れている」感覚をずっと持っていた。
思い出さないといけないような大切な事。でも思い出せない。

懐かしい、穏やかな心地良い感覚があった。

スピリチュアルな事には興味があったし、憧れもあった。でもその一方で「怪しいものなのでは」という世間の認識も理解していた。


自分探求をする過程で、カウンセリングや心療内科、精神科も受診した事がある。でも自分に一番しっくりきたのがスピリチュアルだった。



自分自身を知って幸せに生きるための道具として、何を使うかは人それぞれだ。

私はたまたまスピリチュアルだった。
新しい事を知るというよりも、「知っていた事を思い出す」そんな感覚である。

自分のことを知れば知るほど、楽しくワクワクした。
同時に、これまで苦しい思いぐせパターンのようなものを手放す機会が、なん度も訪れ、それはそれは大量の涙を流しまくった。
いわゆる感情の浄化というものだ。


こまかい話はまた別の記事にしようと思う。
最後までお読み頂きありがとうございました。
無限の愛をこめて♡


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