九州旅行日記①(鹿児島編)
4/12〜17の期間で九州周遊旅行に行ってるんですが、今回はその第一陣として、鹿児島県の旅行記です。
そもそも今回の九州旅行の発端ですが、「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら」という映画きっかけでした。
映画の感想記事はこちら。
大ヒットを記録し、記憶に刷り込まれてる方もいらっしゃるかと思いますが、太平洋戦争末期の特攻隊員と現代の女子高生の恋愛をテーマにしている作品です。
作品の舞台設定は、鹿児島県の「知覧」という場所だと言われていて、映画を見て感動してしまったミーハーな自分は、その足で飛行機だけとりあえず押さえたのでした。
そんなこんなで、鹿児島行きは確定したのですが、
鹿児島、舐めていた。
と感じました。笑
趣味をコテコテに詰め込んだ、
「知覧」×「幕末」×「サウナ」×「名産料理」
を軸に回っていたんですが、2日程度で全く足りない。
国内旅行、これまでも色々と行ってきましたが(南は沖縄、北は北海道まで)、国内では鹿児島は圧倒的No.1県でしたね。
全然回りきれなかったので、再来を決意すると共に、自分の計画の甘さを恥じます。笑
さて、本題。
下加治屋町・甲突川エリア(幕末)
まずは、幕末探訪です。
鹿児島といえば、旧薩摩藩のお膝元。鹿児島県の中心地にあたる鹿児島中央駅周辺は、薩摩藩主である島津家の居城であった鶴丸城の城下町になります。
鶴丸城も覗いてみたかったのですが、今回は幕末の傑物を多数生み出した事で有名な「下加治屋町」と「甲突川」周辺を観光しました。
「下加治屋町」からは、維新三傑の西郷隆盛、大久保利通両名に加え、西郷隆盛の次弟である西郷従道、後の総理大臣となる黒田清隆、日露戦争で連合艦隊司令長官を務める東郷平八郎、西南戦争時の薩軍の大隊長を務める篠原国幹、村田新八、陸軍元帥となる大山巌などの傑物が、約20年の間に続々と生まれている凄い町なんです。
日本史上を見ても稀に見る傑物揃いの町なんじゃないでしょうか。
東京の紀尾井坂にある大久保利通終焉の地は何度も行ってますが、郷里鹿児島の銅像は、威風堂々としていましたね。
(そもそも紀尾井坂のものは銅像ではないが。)
そして「甲突川」です。
歴史ドラマなんかでは、「甲突川」で幼少期の西郷と大久保、その他郷中(後ほど説明します)の仲間たちがうなぎ捕りをしているシーンが描かれますね。
実際どうかは分かりませんが、約200年前にそんな情景が繰り広げられていたのかなと想像しながら歩いてました。
※郷中というのは、薩摩藩特有の教育方式のことで、下級武士を中心な展開されたものです。そして、他藩の寺子屋や藩校とは違った特徴を持っていました。寺子屋や藩校が教師と生徒という立場の区別であったの対して、郷中では同じ地域の年長者が年少者を教えるという形を取りました。幕末薩摩藩が軍事面で主導権を握れたのは、郷中教育で培われた上下関係や規律を重視する国民性が大きく作用したとよく言われてますね!
その他、「下加治屋町」と「甲突川」周辺の観光スポットのご紹介。
城山エリア(幕末)
次に幕末探訪続編ということで、「城山」に行ってきました。
明治維新後の藩閥政府瓦解後に反発する士族による反乱。
その最たる例であり、維新の象徴でもある西郷隆盛が起こした西南戦争。
薩軍は熊本鎮台を襲撃し、人吉、田原坂といった幕末好きなら誰もが反応してしまうような激戦地を潜り抜け、
薩軍vs官軍の争いの果ての地、つまりは西郷隆盛最期の地でもある「城山」へと辿り着きました。
鶴丸城のほぼ真後ろに位置しており、鹿児島中央駅に着くとすぐに目に入る鹿児島県の象徴的存在です。
郷里の「城山」から包囲する官軍を見下ろし、西郷ら幹部らは何を思い、何を話したのか。
そんな事に想いを馳せる城山公園展望台です。
官軍から身を隠した洞窟では、熊本鎮台へ向け出陣した際に、西郷が幹部らにかけた言葉が紹介されていました。
西郷らが「城山」にて最期の時を過ごした洞窟。
知覧エリア(太平洋戦争期)
太平洋戦争末期、沖縄が米軍の手に落ち、沖縄の防衛と奪還を企図し、九州各地および台湾に前線特攻基地が多数建設されますが、その中でも本土最南端として力を入れられたのが、「知覧」でした。
冒頭紹介したように、映画などの作品の舞台として描かれることも多い地です。
今回は知覧特攻平和会館に訪れましたが、本来の計画であれば、ホタル館 富屋食堂や万世特攻祈念館にも行きたかった。
富屋食堂は陸軍の指定食堂でした。特攻の母と呼ばれた故鳥濱トメさんが経営していた食堂で、多くの特攻隊員がここを訪れ、沖縄方面の空は飛び立っていったそうです。トメさんは、特攻隊員の見送りに加え、検閲を通過するために遺書を預かり自分名義にて代理で投函していたりしたそうです。
道路拡張工事にてかつての富屋食堂ではありませんが、孫・曾孫の世代へと引き継がれ、現在は資料館として生まれ変わり、「知覧」の歴史を伝えています。
知覧茶屋は、太平洋戦争時の食事や文化風俗を再現した食堂で、知覧特攻平和会館のすぐ側にあります。
知覧特攻平和会館の入り口と、一部撮影可能な室内。
特攻隊員の遺書が展示されているフロア(撮影不可)があるのですが、自分と同じ歳の人間が、命を投げ打って国を守ろうとするのが、現実離れしすぎていた。
両親や兄妹、婚約者、戦友に遺した言葉の重みとやりきれなさを感じました。
ほんの少しだけ時間があったので、知覧武家屋敷群にも立ち寄りました。
江戸時代初期の一国一城令により、各国居城だけが残される形となりましたが、薩摩藩では防衛のため、麓という防衛拠点が領国内各地に作られました。
その一つが「知覧」で、周辺の山々と川という天然の要害に守られたこの地は、鶴丸城下とともに栄えました。
サウナ
で、お待ちかねの「サウナ」ですが、今回は「ホテルニューニシノ」と「エクセルサウナ タイセイ」に宿泊しました。
言わずとしれた、鹿児島No.1サウナの「ホテルニューニシノ」です。
クラシカルなフィンランドサウナはやはり至高。温度はそこまでだけど、湿度が高く保たれていて、長居せずとも整えるベストな状態でした。
読み違えて、オーロラサウナイベントとニアミスしたのと、付属食堂の麻婆蕎麦を食べられなかったのが、物凄く後悔。
さすがに予定詰めすぎたな。笑
鹿児島中央駅から目と鼻の先の「エクセルサウナ タイセイ」です。
長期戦も見据え、こちらはコスパ重視で選ばせて貰いました。
カプセルホテルは作業スペースと寝る場所を完全に分けられるので、結構好きです。
サウナは良くも悪くも普通って感じだったかな。笑
名産料理
鹿児島といえば黒豚ということで、この旅行では「しゃぶしゃぶ」と「とんかつ」を食べるが目標でした。
念願のしゃぶしゃぶは、やっぱりサウナ後のビールとのマッチ度が半端じゃない。
空腹のピークに達していたので、豚しゃぶサラダに鶏刺し、とんこつ(写真には写ってない)も注文し、会計なんと1人4899円。笑
2日目は作業が長引き、「ホテルニューニシノ」
の食堂が閉まっていたので、町に繰り出して、「麺屋ろる」という所に行きました。
ここの炙り鴨がまあ美味しい。
鹿児島っぽさはさておき、良い夜食でした。
ちなみに「とんかつ」食べられなかったことも、まあまあ後悔してます。笑
結論はやっぱり
鹿児島を、舐めていた。
少しでも自分的No.1国内旅行先の鹿児島の魅力が伝わっていたら嬉しいです。
以上、九州旅行日記(鹿児島編)でした。
サイトマップはこちら。
Xもいくつかのキラーコンテンツを中心に動かしています。
https://twitter.com/otaru1230
Xの運用戦略についてはこちら。
有料記事もリリースしています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?