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東日本大震災の被災地・岩沼市を訪れ、学生インターンの私たちが感じたこと

こんにちは!デジサス編集部インターン生の小林です。


長崎大学薬学部に通っており、大学では製薬の基盤となる薬理学や薬剤学などを勉強しています。
現在は御縁が実り、インフォコムにてインターンをさせていただいてます。
活動内容としましては、エマージェンシーコールやWebサイトのユーザビリティテストを通して、より良いサービスを提供するための一助をさせていただいています。また仙台の岩沼市を訪問して現地の様子を確認してきました。
今回はインターン生として記事を書かせていただく運びとなりましたので読んでいただけると嬉しいです。

今年で東日本大震災の発生から12年の歳月が流れました。
この12年で時代は大きく様変わりしましたがあの時の記憶を忘れた日はありません。当時私は小学生でしたが、その時発生した大きな揺れと教室の窓ガラスに大きな亀裂が入った瞬間のこと、そして恐怖のあまり泣き出した女の子の声を今でも鮮明に憶えています。

先日、「岩沼みんなの家のCSR研修」に参加しました。実際に震災の被害に遭った岩沼市のみんなの家を訪れて、現在の様子やお話をうかがいました。本日は研修で体験したことや感じたことについてレポートします。

岩沼みんなの家とは?

岩沼みんなの家 by infocom 外観

インフォコムのCSR活動として、東日本大震災の被災地である宮城県岩沼市の復興支援活動とその活動継続の為の事業創出拠点として建てられました。地域の“みんな”が集い、絆を繋ぎ、交流・コミュニケーションできる多目的コミュニティ施設です。

岩沼みんなの家の名物メニュー・カレーランチ!

岩沼みんなの家へ到着すると、まずは研修に参加した皆でランチをいただきました。本日いただいたのは三種のカレープレートとサラダをいただきました。使われている食材はどれも岩沼産の食材を使ったものでどれも美味しかったです。値段もかなりリーズナブルで地元の人たちからも大絶賛だそうです。

食後に岩沼産の食材を使用したジェラートもいただきました。色んな種類があり、目移りしてしまいました。

被災した当時の様子やお話について

当時の様子を谷地沼さんからお話を伺いました。地震が起きたときの周囲の人たちの対応や避難したときに思ったことを聞かせていただきました。

※谷地沼さんについて
丸富工業株式会社代表取締役社長。一般社団法人岩沼みんなのアグリツーリズム&イノベーション代表理事。
2017年に「岩沼みんなの家」に設立した一般社団法人の代表理事のひとりであり、岩沼震災の語り部です。2011-2012年の「岩沼みんなの家」の立上げ当初から地域で一番のご協力者として活動に携わっていただいています。

当時の状況を説明してもらっている様子

避難所での生活についてたくさん語っていただきました。明らかに不足している物資とそれを供給する体制の問題を突き付けられて苦労したと教えてくれました。

また、被災した中で、谷地沼さん自身が一番堪えたことは、行方不明者の捜索に参加したときのことだそうです。何日も捜索活動に取り組んでようやく発見した方を見て

「もしかしたら昨日見つけられてたら助かってたんじゃねぇか。」

と思って何度も後悔していたことだそうです。それでも懸命に行方不明者の捜索活動とがれきの撤去作業を取り組んでいったそうです。ついにみんなが避難所から自宅まで帰れるようになったときに言われた

「ありがとう。」 

の言葉に心が震えたそうです。そこからも懸命な復興活動に勤しんだそうです。仮設住宅に住む人たちのために餅つき大会を開催したときは、もちのつき方で各集落の間でもめそうになりながらも最終的にみんなで盛り上がって楽しめたそうです。

また避難所での生活や復旧作業をしていて

「笑うこと」

を忘れていたといっていました。

何かの拍子に緊張の糸が切れたとき、みんなから笑い声を聞いて思わず笑ってしまったと、またその時に今まで笑えてなかったことを思い出したそうです。

私たちは普段何気なく他愛のないことで笑ったりしますが、実際に過酷な現状を目の当たりにして、笑うことはできないだろうなと思いました。

私自身、東日本大震災の被害の様子はニュースで当時連日行われたこともあり、被害規模などを把握しているつもりになってました。しかし話を聞いて、感情や考え、意志を知り、自分が知っていたことは目に見える数字の部分だけしか知らなかったことに気づかされました。
被害の大きさと対策を進めていくことは重要ですが、それと同時に「想い」を後世に伝えていくことも大切だと感じました。

慰霊碑に込められたメッセージ

案内された千年希望の丘・交流センターでは当時の岩沼の様子と復興していく中でどんな取り組みをしてきたかを知りました。津波被害の低減と緑を戻すために植樹祭を地区の皆さんで団結して行ったりする様子を知り、その時、人のつながりの強さを感じました。

訪れた慰霊碑には人と人が支え合う形をイメージしており、また塔の中心の鐘は鎮魂と記憶そして希望の意味がこめられており、慰霊碑の向こう側の景色が見える未来へ、そして希望へとつながるメッセージを表現しているそうです。

また塔のてっぺんの高さは到達した津波の高さと同じだそうで、それを見て今一度恐ろしい災害であったことを認識しました。

慰霊碑・人と人の支え合いをイメージしたもの
希望の丘から見た海岸の様子・植樹された樹々が一面に育っている

残された私たちができることを考える

先日発生したトルコの大震災では東日本大震災の被害規模を超える被害が出ており、今なお懸命な復興が為されている状態です。亡くなられた方々に冥福の意を祈るとともに被災した方々の一日も早い復興を心から願うばかりです。

地震を始めとする自然災害は国内外を問わずどこでも起きるもので、それは無情にも私たちの家族や友人、愛する人に牙を向けてきます。
今後、南海トラフ巨大地震が起きる想定されており、地震などの自然災害に対する危機意識が高まってきていますが、それでもまだまだ心のどこかで

「自分は大丈夫」
「今まで大丈夫だったし今回も…」

と考えてしまいがちです。しかしその油断は実際に災害に直面するときに後悔を伴って初めて知ることになるのだろうと思います。

今回の訪問では岩沼地区の小学校の抜き打ちの避難訓練の様子も動画で見させていただきました。放課後の和気あいあいと過ごしている様子から一瞬で切り替えて話をせずにその場に伏せて身を守っている小学生の姿がそこにはありました。地震が収まった後はその場にいる人数を数え始める子供の姿もありました。
その地区の公立の小・中学校では毎年、数多く避難訓練をするそうです。
いくら大人であったとしても緊急時に正しい判断をするのはとても難しいこと、考えることなく無意識にできるようにするという考え方に納得しました。

相手は自然で、ときに為すすべなく無残な結末を迎えることになる時もあります。しかし備えができていたらもしかしたら後悔をせずに済むようになるかもしれません。

私たちは過去に戻ることはできません。しかし過去から学び、引き継いでいくことはできます。「タラれば」を言わないためにも、そう思わないように今から危機意識を持っていくべきなんだと今回の活動を通して感じました。

インフォコムが提供する危機管理サービス

インフォコムでは、企業や自治体向けに、危機発⽣時の初動対応から事業継続対応後のBCP⾒直しまで、 企業の危機管理をトータルでサポートするサービスを提供しています。いざという時、担当者の不安を軽減し的確な災害対応を支援するため、これからもお客様に役立つサービスを提供していきたいと考えています。

東日本大震災の痛ましい記憶を名実ともに風化させず、こうした災害に備えるため、私たちもサービスを通じ貢献していきます。


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