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道でラーメンをすする自由

夫と歩いているとき、かなり混雑した往来のど真ん中で、カップラーメンをすすっている人を見かけました。

道行く周りの人々は、急に目の前に出現した立ち食いラーメン男の周り30㎝ほどのスペースをきれいに空けて、特に振り返りもヒソヒソすることもなく、ごく淡々と通り過ぎていました。

夫とわたしの目は明らかに彼に釘付けになりつつも、周囲と合わせてその場を何事もないように通り過ぎたのち、申し合わせたようにお互いしていたイヤホンをそっと外しました。

今のは、何だったんだ!

夫は「うらやましいな…」と言っていました。あれこそ究極の自由だと。
わたしは「きっとあのタイミングで3分経ったんだろうね」と言いました。

わたしたちは
「カップラーメンはタイミングが大事だから、ベストの状態で食べる為にあの場所で止まって立ち食いをしたのだろう」
と結論しました。

完全に周りから浮いた状態で堂々とラーメンをすする彼に対して、夫もわたしもかなり好意的な印象を抱いたと言えます。

彼の自由を尊重したい。
自由、万歳!

こういうとき夫が
「混んでる場所で食べ始めるなんて迷惑な奴だ」と吐き捨てたり、
面白がるわたしに「何が面白いの?」と冷めたコメントをしたり
する人でなくてよかった(その意見も間違ってはないけど)、
と思うと同時に、

長く連れ添うパートナーを持とうとするとき、
年収だったり家柄だったり重要視されそうな諸々の条件よりも、意外とこういう小さな面白がりの一致が大事なのかもしれないなと思いました。

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