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あまちゃんとらんまん

「あまロス」という言葉を生み出した伝説の朝ドラ「あまちゃん」が再放送されています。
脚本:宮藤官九郎
主演:のん(能年玲奈)

対する現行の朝ドラは「らんまん」。
脚本:長田育恵
主演:神木隆之介

せっかくなので、途中まで並行して見ていました。

あまちゃんは、文句なく面白い。
1回目はリアルタイムで鑑賞、確か実家にDVDがあるから最低2回は見ているはず。だから視聴3回目ともなるのに、しっかり引き込まれます。

種市先輩の「ずぶん(自分)」とか
磯野先生の「足つった!」とか、もう…
抱腹絶倒。
それなのに時々ホロっとさせられる、揺さぶられる。
主人公も視聴者も、大忙しです。

対するらんまん、今のところわたしは3週目で録画視聴、停止中です。

きっと今頃(6週目)らんまんもエンジンが掛かってきているのだろう、とは思います。
でも、ひとまずスタートダッシュの印象は、あまちゃんに軍配を上げたい。

…いや、別に競ってないんですけどね。
でもあまちゃんの後らんまんが続けて放送されるからね、どうしてもね。
あまちゃんと同時放送されるなんて、らんまん、なんて不運なのでしょう。

わたしより先に
らんまんから脱落した夫いわく

金持ちのボンボンが、生まれつき体が弱いとはいえ周りにこれでもかってくらい守られて、天真爛漫に始終迷惑をかけながら、そのくせ生家のお陰でいい学校に通ったり、金に糸目をつけずに本を買ったりして勉学に励みました、英語も喋れますって言われても…

はぁ、そうすかって
感想しか生まれないよねと。

どちらかというと「女は穢れているから」という意味わからない理由で、家業の酒蔵を愛している上に利発な姉が酒造りに携わることを許されず、それでもその道を志す物語を見たいと。

確かに。

一方、あまちゃんが大衆に受け入れられやすいのは何故なのでしょう。

主人公が中流家庭の一般人で、性格が後ろ向きだったり暗かったり、どこか欠けた部分のある様に親近感を覚えるから、ではないでしょうか。

ちょうど、ドラマの中で海女のアキちゃん(あまちゃんの主人公)がウニ捕獲に奮闘する動画でオタクたちから人気を博したように、マイナススタートからの成長物語は、主な視聴者であるところの一般市民から見ても感情を乗せやすいものです。

望んでも届かない、
頑張っても得られない、
努力しても報われない。

われわれ(と勝手に括りました)庶民に、そういう種類の挫折は想像しやすいですよね。
だって、自分の人生で嫌というほど体験してきているから。

でも人生の試練は無論一種類ではないわけで
望んでいないのに与えられ過ぎる
という形のそれもあるはずです。

性差別でいうと
女は翼を折られ
男はゲタを履かされる
と言いますが

本人が望んでいないのに、
男性である、それも長男であるというだけで
頑張れ
気合い入れろ
家業を背負って立て
家長になれ
男だろ
いや漢だろ
と言われても、重荷でしかないはず。

それなのに
お前は恵まれてていいよな
坊ちゃんが何言ってんだ
世の中にはもっと不幸な人が…
と、周りに辛さを共感してもらえない。

その世界は
とても孤独で
独特の苦しみを伴うものなのではないか。

過保護で過干渉な家庭で生まれ育ったわたしにとって、それはちょっと身に覚えのある壁のような気がするのです。

…4週目、行ってみるか。
(幸い録画は継続してる)

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