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選べない家族と選べる家族

生育家族って、選べませんよね。

だから、生まれてしまってから「あ、しまった!超絶合わない!」と思ったとしても原則、別家族に移籍することは出来ません。
(両親死亡や虐待等の場合を除き)

でも、現代のわたしたちには就職や結婚のタイミングで再起を図るチャンスが残されています。

つい数百年前まで、わたしたちには職業の自由が与えられていませんでした。

武士の子どもは武士
農家の子どもは農家
左官屋の子どもは左官屋

左官屋の家に生まれたけれど、やっぱり自分は武士の方が向いてると思うんだよねと思っても、そちらの道に進む道は険しい、どころかほぼ無いに等しい時代、職業もさることながら、身分や家柄を超えた結婚をするのも、今より更に難しかったはずです。

もし、生まれた時代が違っていて、職業の自由と結婚の自由を奪われていたら、わたしはだいぶ危なかったと思います。

今日は、そんな話です。

***

母は、わたしのことを「自分から生まれ出たもの≒自分」と思っている節があり、わたしに対して支配的でした。

子どもの頃は、わたしが内気で病弱だったこともあり、母親の影に隠れていることに不自由を感じなかったので、母親の言う通り従っていました。
でも、自我が芽生えると同時にわたしは急激な息苦しさを覚えました。

高校生の頃だったでしょうか。
「親子より、夫婦の方が結びつきが強くなる可能性が高いのではないか」
と母に述べてみたことがあります。
だって親も子も選べないけど、夫は自らの意志で選ぶことが出来るから、と。
でも、即座に否定されました。

あなたは結婚に夢を抱き過ぎている、
夫は所詮他人なの
血は水よりも濃いと言うでしょう、と。

自由をこよなく愛するわたしと
家族の結束の為なら如何なる犠牲も辞さない母

後から振り返ればおよそ噛み合うはずのない実家にいた頃、選択肢が「母の意向」一択だったわたしはよく、蜘蛛の糸にグルグルに絡めとられ身動きが取れなくなるイメージを抱いていました。

わたしは夫と結婚することで、幾重にも巻かれた糸を断ち、自由を手に入れることが出来たのです。

もし、憲法によってわたしに職業の自由と結婚の自由が与えられていなかったなら。

母の希望通りわたしは家から出ず、家業を手伝いつつ、親の決めた相手と結婚する未来を辿っていたのでしょう。
わたしは未だ、蜘蛛の糸に巻かれたままだったかもしれません。

想像しただけでゾッとします。

だから、というのもあって、わたしは同性婚に賛成です。
生まれた家から出て新しい家族を作る権利は、みんなに等しく与えられていてほしいと思うからです。

生まれる家は選べなくても、再起を図るときくらい、選択肢が無限にあってほしいと思うからです。

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