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離れてみれば大抵みんな「どうでもいい人」

身近な人のことって、よい面も悪い面も丸見えですよね。

さぞ、わたしがひた隠しにしている、つもりの欠点も、周りの方にはお見通しなのだろうなと思います。
外から見れば概ね「いい人」であっても、近付けば近付くほど「こういうところ、嫌いだな」というところが見えてくるものですから。

小学生の頃、わたしを苛めたあの子
アルバイト先の陰湿な店長
新卒で入った会社の意地悪な同期

当時は、彼らが何故わたしのことを目の敵にするのか分かりませんでした。
でも今思えばたぶん、近付きすぎたことで、共に過ごす時間が多すぎたことで、わたしの何かが彼らの何かに響いてしまって、それがすごく不快なことに思えて、嫌がらせをするに至ったのだろうなと想像できます。

わたしも今より悪い面を剥き出しにしていたし、自分で振り返ってもなかなか愚かでしたから、人を苛つかせる存在であったとしても不思議はありません。

だからと言って人を傷つけることをしてもいいとは思わないし、同じことを言うにしても言い方ってもんがあるだろう、とは思いますけれど。

わたしと同等かそれ以上に、相手も愚かだった、ということでしょう。
彼らにはもう会いたくないし、今何をしているのか知りたくもありません。

好きの反対は、嫌いではなくて「どうでもいい」だといいますね。
でも近くにいたら、どうでもいい、ではなく「嫌い」になってしまうでしょう。

晴れて「どうでもいい」になるには、実害が出ないこと、すなわち目に届く範囲から外れることが大事だと思います。

わたしはリアルに誰かと繋がる為のSNSをしていないし、現状友だちは1人しかいませんから、彼らと出会ってしまう確率は「道でばったり」以外にあり得ません。

自由。

もし、もっと閉鎖的なコミュニティで、嫌いだ、嫌いだと思いながら彼らに気を遣いお世辞をいい面白くもないのに笑い続けるしかない場所にいたら、わたしはいずれ、憎悪の気持ちを抱いてしまっていたかもしれません。

離れられる権利があってよかったと、心から思います。

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