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男目線って、誰目線?

「男目線では」とアドバイスしてくる人って、不思議だなと思います。

女性同士だったらそういう服も受けるかもしれないけど、男目線では魅力を感じないな、やめたほうがいいんじゃない、というような助言。

本気でおっしゃっているのでしょうか。

勝手に男性代表を騙っているけれど、男目線って結局、自分目線ではないかと思うのです。
俺の意見。
何が悲しくて、あなたが思う理想の女性を、わたしが目指さなければならないのか。
百歩譲ってあなたが男性全体の代弁者と仮定したところで、何故わたしが多くの男性に魅力を感じてもらいたいと思っていることが前提なのか。

恐らく、妥当な答えは返ってこないと思います。

わたしは、見知らぬ男性に魅力的だと思ってもらう為に服を選んでいるわけではありません。洋服にお金をかける主な理由は「自分の気分を上げ、自信を持って歩く為」です。

「男目線では」とアドバイスしたがる人は、ご自身が「女目線」という、あるかなきか分からぬものの為にお洒落をしていることを暴露したに過ぎないと思います。

あなたとわたしを、一緒にしないで。

と、わたしは言いたい。

「女目線」の有無がはっきりしないのと同様、「女性ならではの意見をお願いします」という不可思議な要求にも戸惑ってしまいます。
だってわたしは「男目線」の人と違って、自分が女性代表ではないと知っているから。

たとえば先ほど書いたような「洋服にお金をかける理由」も、わたしのただの個人的意見であって、なるほど、それは現代の女性ならではの発想だよね、とか言われると「いや、それはどうだろう」と思ってしまうのです。

安土桃山時代の女性も自分の気分を上げる為に着物を選んでいたかもしれないし、現代の女性でも恋人の趣味一択で服装を決めている人がいるかもしれない。

いや、そもそも性別も関係ありませんよね。

憲法で「自己決定権」と「表現の自由」が与えられている以上、どんな服を着るか、なんの為に着るかはそれぞれの自由意志でしかありません。

同じような理由で「若者ならではの」とか「日本人らしく」とか「わたしたちの時代は」とかの括りにも首を傾げてしまいます。

だって、わたしは若者だった頃から若者らしくなかったし、日本人でも繊細な感性を持っていない人は五万といるし、わたしたちの時代にも様々な側面があったことを知っているからです。

目の前の人が自分と同じ基準で生きていないかもしれないことを、わたしたちは想像する必要がある、と思うのです。

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