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今、読んでいる本がnoteに影響する

先日、「怒る女」というマガジンを作成しました。

ここのところ、おかしい、絶対におかしい、これはnoteにせねば収まりがつかぬ!と思って色々書き綴っており、そうやって書いたものが現状のマガジンのどれにも当てはまらない気がしたので、新たに作成したのです。

思い起こせば、この間までフェミニズム関連の本を続けて読んでいました。
エッセイも小説も新書も読みました。
読んでいると自然と、筆者や登場人物たちと同じように受けてきた幾多の仕打ちに対して沸々と怒りが湧いてきて、くっそーこの恨み、晴らさでおくべきか!と力が漲ってきました。

怒りは、力。

一転、今は小川洋子さんの本を読んでいます。
小川洋子さんの筆致は、例えるならどこか北の地の湖のようです。
耳が痛くなるほど静かで、雪か霧雨が降っていて、触ったら自分の手も凍りついてしまいそうな程ひんやりとしていて、微かに死の匂いが漂い、でもたまに剽軽な動物がふっと顔を覗かせ、つい微笑んでしまう瞬間もあったりして。

そうしたら、特に意識をしたわけでもないのにnoteに書くことも何となく、静かで穏やかな話になっていることに気付いたのです。

子どもの頃から、わたしは周りの影響を受けやすい性質でした。
そのとき一番仲良くしている級友の口癖が移ったり、上司の価値観に染まって他社の批判をし、自社が№1だと言い始めてみたり。

と思うと、わたしのnoteに影響を及ぼすのは今読んでいる本だけではないような気がしてきました。
この間誰かと交わした雑談も、ふと目に入ったネットニュースも、最近観たドラマも映画も、開いた雑誌も、それから皆さんのnoteも。

わたしは誰かの意見を読んだり聞いたりして、自分の中に留め置いて、それで湧き出てきたものを言葉にして綴っているのですね。
何を読んで、どれを持ち帰って、どういう具合に解釈して、最終的にどう表現するかはわたしの判断だとしても。

頭に血を上らせて怒っているわたしも、冷静に物事を見つめるわたしもいて、どちらのわたしも嘘ではありません。
矛盾なくわたしの中にみんな同居していて、どれも正真正銘、わたしなのだと思います。

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