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言い切る人は信用できない

○○さえやっておけば間違いない、とか
わたしの言うことは聞いておいたほうがいい、とか
将来の為に○○は必ずマスターしておくべき、とか

そんな、不明確なことを断言する人っていますよね。
もしあなたがそれで成功したとしても、わたしも同じ方法でうまく行くとは限らないし、時代は移り行くものなのに。

いつからでしょう。
電車の広告にこの手の本が掲載され始めたのは。

目から鱗でした!(20代男性)
この本を読んで人生変わりました!(30代女性)
すべてがうまく行くようになりました!(50代男性)

とかの、およそ信じがたい感想が並ぶ、アレ。

がむしゃらに働けばある程度は稼げた時代に最高潮を迎えて、それからは緩やかな下降線を辿っている先行き不透明なジャパンにおいて、言い切ってくれる、分かりやすいものに縋りたくもなる、ということなのでしょうか。

いつだったでしょう。
「速読」が流行ったのは。
1冊の本を数十秒で読破することが出来る!とかいうやつ。

読書って、そういうことじゃないんじゃないの?
内容を把握したから「読んだ」ってことにはならないんじゃないの?
と懐疑的な目で見ていたら、その内聞かなくなったように思います。
(検索してみたら、今もあるにはあるみたい)

わたしにとって読書(内、主に小説)というのは、疑似体験です。
実際に経験できるのはわたしの人生1回きりだし、わたしはわたしから見える角度からしか物事を捉えられないけれど、多様な作家さんの予想外の発想や、著しい想像力や丹念な取材などから形作られた世界を、時代や国や空間や性別を飛び越えて登場人物たちと一緒に「体験」することができる。

それは只あらすじを追って文章の表面をなぞるだけでは成し得ないことでしょう。物語の世界に深く沈みこむ必要があると思うのです。

世の中にはこんなにも多くの視点があって、信条があって、それぞれの真実があるんだ、ということを知ってしまったら「絶対にこうだ」と言い切ることなんか出来なくなると思います。

例えば、子どもって、割と言い切りますよね。
「○○が一番面白い!」
「絶対○○だよ!」
「○○をやってない奴は友だちじゃない!」
とか。

それはきっと、人生経験や知識量や世界がまだ限定的だからかなと思います。

言い切っている人ってたぶん

・その方法しか知らない
 (その方法を信じて成功した一握りの人)

・言い切ったほうが売れる(得をする)
 ことを知っている

大まかに分けたらその2通りだと思います。
知見を得れば得るほど簡単に言い切れなくなるし、実れば実るほど頭を垂れざるを得なくなる。

だからわたしは言い切る人を信用しないし、言い切り論に恍惚になりそうになったら1回「本当に?」と疑ってみたほうがいいんじゃないかな、と思います。

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