劇団四季『キャッツ』|観劇のキロク
最寄りの地下鉄の駅でよく見かける劇団四季『キャッツ』の広告。
かなり前から気になってはいたけれど、なかなか一歩が踏み出せず、
「いつか見よう…」「いつか見よう…!」と思っていたら、
いつの間にか千秋楽を迎えようとしているじゃないか!!(笑)
すでに2回も見たという友人の「絶対見るべき!」という後押しもあり、
同じくまだ観たことが無い(これが劇団四季デビュー)友人を連れて、
四季劇場へ観に行ってきました!
結論、やっぱり劇団四季はエンターテイナーのプロ集団…!
作品情報
脚本・演出(日本語版):浅利慶太
2023年で『キャッツ』は、日本での初公演から40周年らしい!
ジェニエニドッツの衣装も40年ずっと同じものを大事に使っていると、
観劇後に届いた劇団四季からのメールに書いてありました(笑)
もしかしたら他のキャラクターの衣装もそうかもしれない。
観劇して感じたこと・気付いたこと
・台詞がほとんど「無い」
まず衝撃だったのは、セリフ(会話)がほぼ無かったこと。
『キャッツ』におけるセリフは、セリフと言うよりは詩的な感じを受けました。大勢で声を合わせて言っていたので、まるで朗読。
・圧倒的な歌唱力とダンス
あの「劇団四季」なのだから、高い歌唱力やダンススキルを持つプロ集団であるということは当たり前田のクラッカーですが(もう死語?)、その能力を遺憾なく発揮していました。相性が良すぎる作品だなと感じるほどに。
特にグリザベラの歌う劇中歌「メモリー」で爆泣きしました。
グリザベラの背負う悲しみや願望、全ての感情がビンビンに伝わってくる歌唱力で、いつの間にか涙がボロボロ出始め、自分でもビックリしました。
・観客を巻き込んだエンタメ的演出
『キャッツ』は他作品と比べて、演者との距離が近いと感じました。
そもそも舞台美術的に、舞台から客席へスムーズに移動できるようになっている(繋がっている)ので、気付けば目の前に来ていたりすることも。
また、正面の舞台だけでなく両サイドにもいろいろ仕掛けがあり、
キャストが飛び出してきたり、覗いたりと驚かせられる演出が多く、
子供でも分かりやすく楽しめそうな印象を受けました。
大きい靴が落ちてくるシーンがあるのですが、知っててもタイミングが絶妙すぎて心臓がギュッてなりました(笑)
考察・学んだこと
わたしはこれまで劇団四季で『オペラ座の怪人』『美女と野獣』『マンマミーア』『リトルマーメイド』を観劇し、その経験則から「ミュージカル=歌とダンスがある演劇」だと思っていたところがありました。
要は、演技で表現するところが要所要所で歌やダンスでの表現に切り替わるシーンがある舞台だ、と。
だからこそ、今回の『キャッツ』はかなり衝撃的だったというか、新鮮でした。
『キャッツ』はストーリーが全くないわけではない。
ただ、キャラクターの感情や取り巻く状況をハッキリと理解するうえで重要な情報源であるセリフがほぼ無い。
そのため、観客側が演者の演技を見て想像力を働かせるほかない。
なぜこのようなストーリーが分かりにくい構成になっているのか?
わたしは「人間に理解できない猫の世界」という世界観を、セリフという分かりやすい情報源を無くすことで表現しているのではないかと推察しました。
理由は、数少ないセリフのなかに「お前たち人間には分からない」的なニュアンスが入っていたから。(聞き間違いでなければだけど…)
実際、猫たちの名前もかなり不可思議であるし、スキンブルシャンクスとかミストフェリーズとか。
舞台もおそらく天国か何か、現実の場所では無いだろうと思う。
選ばれた一匹が再生を許され、天井へ昇ると言われていること、「猫は9つの命を持つ」という言われがあることを考えると、この舞踏会は「現世に転生する猫を選ぶ会」なのだろうかと思ったり。
ごく一般的な舞台はストーリーで楽しませることがメインであるから、
セリフもそれだけの量がある。観客はその膨大なセリフからありとあらゆる情報を拾って、キャラクターの内面や世界観を理解する。
セリフは解釈のヒントであり、多ければ多いほど全てを理解するのに想像力なんていらない。そう、「想像力を使わなくて良い」。
頭を働かせなくても理解できることが、どれだけ楽なことか…
ただ本来、舞台を見る醍醐味というのは、想像力を働かせること(共感力もそうかもしれない)。
曖昧なものに対して、想像力を働かせることで色んな可能性を模索できる。
そしてそれは見る人の数だけ出てくる。
『キャッツ』を観て、久々に「想像する」という観劇の原典に帰ることができたのがとても大きな収穫だったと思います。
おかげさまで頭をフルに使って、しばらく頭痛がすごかったけど(笑)
後押ししてくれた友人が言ったとおり、人生で一度は観るべき作品だと思います!
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