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この季節に思うこと:二人の伯父の戦後

終戦記念日や、原爆投下の日の前後であるこの時期になると、太平洋戦争に関連するテレビ番組が多くなりますね。

この時期になると、父方と母方、2人の伯父のことを考えます。

11人兄弟だった父の長兄は、終戦の時満州にいて、その後シベリアに抑留され、昭和23年に復員しています。
復員してすぐに消防士になり、神田消防署に勤務します。
その年のうちに訓練中に吐血し、意識不明のまま亡くなっています。

何年か前、東京消防庁と警視庁の殉職者の慰霊の会の事務局(東京消防庁の広報)に問い合わせたのですが、詳しい状況は不明。
消防庁に残っている伯父の記録は、手書きで二行でした。

どういう経緯かわかりませんが、陸軍に従軍し、その後シベリアに送られ、帰ってすぐに消防士になる、その気持ちはどんなだったでしょうか?

母方の次兄は、昭和20年に海軍兵学校に入校し、広島県の江田島で終戦を迎えます。
8月6日の朝、広島市側の校舎の窓は全て割れてしまったと聞いたことがあります。

歴史の事実から見ればありえないことではありますが、もし彼が卒業していれば、初級士官として戦死していた可能性が高いと思います。

この伯父は、戦後結核に罹り、サナトリウムで療養していたそうです。
恢復したのち、高校の音楽教師になり、教頭で退職しています。
その経歴を考えると、平時であったなら、職業軍人の道を選ぶようなことはなかったかもしれません。

父方の伯父とは、もちろん会ったこともないし、写真すら見たことはありません。
母方の伯父も、ずっと新潟県にいましたし、最後に会ったのは母の葬儀ですので、話を聞く機会もあまりありませんでした。

昭和初期が、あのような時代でなかったとしたら、あなたはどんな人生を送りたかったでしょうか?

特に消防士の伯父には、聞いてみたいと思います。独身のまま亡くなった伯父に、何か楽しいことがあったことを祈ります。

そして、どんな職業も選べたはずの自分の人生についても考えます。

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