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アラン幸福論 ➀名馬ブファケラス 自分なり解説#1前半

哲学書は読んでいるだけでは意味がない。
そんな言葉を頭の片隅で腐らせながら早数日、やっと行動力を発揮できる機会がやってきました。あくまで私個人の解釈、ご理解ください。
それでは「フランス散文の傑作」始めていきましょう。
今回は一つ目、「名馬ブファケラス」です。



※神谷幹夫氏訳(岩波文庫)であることを前提に進めていきます。
かなり引用多めで、見にくいですがご了承ください。

#海外文学のススメ

第一段落:乳母

まずは書き出しから。
これは全体の文章の大きなキーとなる部分。ですが、まだこれを読んだだけではアランのいはんとすることを理解するのは難しいでしょう。
最後まで文章を読み、もう一度立ち返ってみて、全体の真意を理解する、一種のまとめとして活用するのが良いと思います。
なのでここは一旦パスして第二段落へ、、、
「乳母」「ピン」の言葉だけは覚えておいてくださいね。

第二段落:名馬ブファケラス

本項のタイトルである名馬ブファケラス、そしてオリエントの英雄アレクサンドロス大王との逸話が紹介されています。
深く理解できなくとも、”誰もが匙を投げた荒馬を、若き日の大王が手なずけたんだなぁ”くらいはわかると思います。それで十分です。
”大王が荒馬を手なずける”というのは、本項における大きな例の一つです。
理解の鍵となるのは第一段落でも出てきた「ピン」。
重要なパートを引用、

ブファケラスは自身の影にひどく怯えているのがわかった。恐怖で飛び上がると影も跳ねるので際限がないのだ。

アラン幸福論 岩波文庫

ここは「ピン」の”原因の部分”とでも呼びましょうか。
なんとも滑稽な原因ではありますが、これの気づいた大王は方法を見いだします。また引用、

アレクサンドロスは馬の鼻を太陽に向けた。この方向で支えると、馬は落ち着き疲れを示した。

アラン幸福論 岩波文庫

上述の通り、「ピン」の”方法の部分”といったところです。
他の汎俗な者たちが「性の悪い」私が「荒馬」と表現した馬を、大王は機転を利かして「名馬」とした訳ですね。
ここまでくると第一段落からでてくる「ピン」のシルエットが、ぼんやりと見えるようになってきたと思います。
私なりに表現すると、”物事の解決策”といった感じかな?
しかしまだ本質は霧の中、我々も五里霧中にあるといってよいでしょう。
どんどん読み進めていきますか!

一応補足しますが、最後の「アリストテレスの教え子」というのは大王のことです。
万学の祖アリストテレスは、紀元前342年頃~340年頃にかけてアレクサンドロスの家庭教師をしていました。
「ほんとうの原因を知らないかぎり、情念を癒やすことができない」ことを学んだのですね。
ここにきて高校時代の知識が活かされます。学校教育も捨てたもんじゃありません。

第三段落:恐怖

具体的な話のフェーズに入ってきました。
ここでは「ピン」のことは一旦忘れて、「恐怖」というトピックに集中しましょう。
「恐怖」についての考えに対して、アランが意見を述べるのが主軸となっています。登場するのは二人の人物、
①もの知りぶる者
②情念に囚われた者
それぞれの意見がどういったものなのか見ていきます。

①は危険を感じるから恐怖が生まれるのだと言う。
②は恐怖を感じるから危険だと判断するのであるという。

アラン幸福論 岩波文庫(一部を変更しています)

ん、、、難しいですね。高校数学の必要条件・十分条件を思い出す嫌な構図です。しかしご安心を、アランが意見に合わせてきちんと説明してくれています。
まず彼の意見はこうです。

二人とも間違っている。しかも、①は二度も間違いを犯している。

アラン幸福論 岩波文庫(一部を変更しています)

なんと、①②どちらも間違っているというのです、前者に関しては二度も。
その①の二度の間違いが特に気になるところです。
それに対して「ほんとうの理由を知らないのと、もう一方の誤りがわからないのである。」とアランは言います。
そして直後の文章、

人間は恐怖を感じると具体的な危険を考え出して、この恐怖がリアルなもので、十分確かめられたものだと説明する。

アラン幸福論 岩波文庫

言い換えると、
”「人間」は自分たちが恐怖を感じる時、明確な危険を想像する。それにより恐怖を自身の中に確立させるのだ。”
といった感じですかね。

これはおそらく「本当の理由」、①の一度目の間違いの部分でしょう。
”危険→恐怖”の構図の時点で①は最初の間違いを犯しています。
一方で、②は”恐怖→危険”の構図でアランの説明と一致している、とわかる。
しかし「二人とも間違っている」ので、以下の文章が続きます。

ところが、どんな小さな驚きでさえも人をおびえさせる。まったく危険などないものでも。

アラン幸福論 岩波文庫

”「人間」は自分たちが恐怖を感じる時、明確な危険を想像する。それにより恐怖を自身の中に確立させるのだ。”

先ほどもでてきた言い換えですが、これが理解の鍵となります。
要は”恐怖に明確な危険は不可欠”、ということ。
しかしアランは必ずしもそうではない、と話します。それこそが上の引用文です。
別に、恐怖を想起させるのに明確な危険は必要ないんです。
段落終盤の例文を見るとよくわかると思います。
マッセナ元帥は何とも滑稽な理由(危険などないようなもの)で恐怖を感じていましたよね。

①②の話にもどります。
ズバリこれは①の二度目の間違いの部分です。
”②は一致している”と表現しましたが、あくまでそれは恐怖→危険の構図においてでのこと。ここで②も否定されます。


さぁ第四段落、「ピン」の話に戻りましょう!
と言いたいところですが…
これ以降の考察がまだできていないのと、note初投稿を早く成し遂げたい!という気持ちが先行しているので、今日はここまで。

ほぼ自己満足のようなものです。ご了承ください。


出典
アラン幸福論 神谷幹夫訳 岩波文庫



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