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不完全で完璧

なぜあの動画が出てきたのかわからない。
ふーん、と思い、なんとなく流してみたら
自分と同じ経験がずらずらと語られるので
嘘だろという気持ちで見入ってしまった。

まさか自分がそんなわけないと不安を払拭するため疲労困憊平日の夜にも関わらず
衝動的に簡易的なテストを受けた。

恥ずかしいけどめちゃくちゃ難しくて
でも結構出来たぞという感覚があったため結果を参照して泣きたくなった。

何十万人も受けているテストで
私の点数は末尾に近い数字だったのだ。

言い訳させてもらうと
平日ど真ん中だったし
眠れず夜中に行ったテストだったし
たかがネットだ。
信じるに値するものではないだろう。たぶん。

それなのにそうだろうな、と納得もしていた。
自分は劣っている
本当の私を知ったら嫌われる、
という謎の焦りをなぜ感じるのか
その答えがテストの点数に表れてる気がした。
たぶんなんとなくわかってたんだろう。



”そのような人”とレッテルを貼られ
私の話すこと、書くことを
”どうせ〇〇だから”と
ほこりを払うみたいにスルーされるのは
悔しいし辛いから具体的なことを書くのは抵抗がある。


一方でだからなんだよとも思う。
普通なんてあってないようなものだ。
誰だって完璧じゃない。
欠けた部分が必ずある。
その部分に苦しみもがき生きるのが人間だ。

金持ちには金持ちの
貧乏には貧乏の
頭のいい人にはいい人の
悪い人には悪い人の、
それぞれのステージや生きるフィールドごとの
苦しみ悲しみがあって、
それを他人と比較することはできない。
隣の芝生はいつだって青い。


現在の私は本当に運良くというか
奇跡的に自分に合う環境下で
自分に合った仕事ができている。


私は普通だと主張したい一心で書くので
これから書くことはドン引きしてもらって構わないが、仕事の成績は悪くないと思う。
勤務態度だって真面目だ。

インセンティブやら
追加賞与なるものをもらっているのだから
たぶん客観的にみても普通の社会人として頑張れているのだと思う。

そんな頑張る必要ある?
一人繁忙期お疲れ様です!
なんて同僚には煽られたりすることもあるけど「えーそうかな?」とか
「全然そんなことないけどなぁ」と
へらへら笑ってやり過ごす。

彼らはもちろん知らないのだ
私の頑張りは恐怖がセットであることを。

みんなが私と同じレベルで頑張ったら一瞬で追い抜けるんだよと悲しい気持ちになる。




もともと私は出来損ないで頭が悪く
仕事ができない人間だから、
みんなの倍以上のパワーで
常に必死でやらないと置いていかれるという焦りが常にあり、だから一息つくことが難しい。

一息ついたら
あっという間に置いていかれる。


上司との面談の際に成績を褒められ
なぜそんなに数字が出せるのか聞かれたが
私は迷わず「必死なだけです」と答えた。
上司にはただの謙遜に聞こえたようだった。



今回は簡易的なテストだったが
近いうちに医療機関でしっかりとしたテストを受けてみようと思う。

違えば違ったで良い。
やっぱ私は怠け者なんだわー!
できないのはやらないだけ、やればできる!
色々怖がってたのは経験不足と神経が細すぎるから!以上!

そうやってこれからも
自分を叱咤激励しながら生きればいい。

さっき書いた「私は仕事で評価されてる」なんて言う見苦しい自慢話も、どうか忘れてほしい。



だけどもし本当にそうであると認められたら
”普通の数値”の人が体験してきた身軽さを感じてみたい。


”普通の数値”の人が体験してきた身軽さというのは引きこもっていた頃家族に言われた

「どこでも良いから働けば良い」
「適当にアルバイトぐらいすれば良い」という
その感覚のことだ。

自分は”どこでも”働ける
自分は”適当に”選んだ職場でも
”適当に”働くことが出来ると思える根拠のない自信。

というか、普通のこと。
できないのはやらないだけ、という普通のこと。

そうであると認められたら
私のレベルに合った場所で、
彼らみたいに”どこでも”とか”適当に”働く感覚が味わえるのかもしれない。




まぁ、まだそうかはわからない。
違った方がいい。

でももしそうだったら
真正面から向き合うしかないなと思う。














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