見出し画像

執念深い女と積読のすすめ

「渇愛」
瀬戸内寂聴の『釈迦』に出て来る言葉だ。

愛したつもりになって勝手に裏切られて、
憎みたいのに憎みきることはできず、
嫌いになれず、

それでも一心に愛されたいと望んでしまうのは渇愛と呼ぶそうで、
一生付きまとう煩悩の一つらしい。


そのほかにも「愛別離苦」は
人生の中で起こる辛いことのの一つだそうで。

あ、じゃあ一生会えないと心に決め
離婚決断したのは人生の苦難の一つだったわけね。そりゃ辛いわけだ。



釈迦でさえ「この世は苦難」と言い続け、
いや、ほんともうしつこいくらい言い続けてて
「もうわかったから!」と辟易しつつ読んでたのに

死ぬ数ヶ月前に突然
「この世は美しいすばらしい」とか言いだしちゃってね。

この世で生きることを肯定するには
その境地まで達しなければならないのかと。
途方も無いな…



釈迦でさえも、自分本当に死ぬんだと受け止めてからやっとそんな風に思えたのに
欲だらけの自分が辛いなんて当たり前だわ。


修行をしてきた釈迦のような人間だからこそ、
死を受け止めたのち「この世は美しい素晴らしい」と思える時間を数日間だけ過ごせたんだから、

私みたいな人間が死を受け止められるのなんて
息をひきとる数秒前だろうよ。

いや、もしかしたら息の根があるうちにそう思えたらすごいくらいの感覚なのかもしれないな。




離婚後、おおげさではなく生まれて初めて、
自分の人生にこんな辛いことがあって、
この状態でこれから生きていかなければならないことに絶望した私は修行僧のようなものだったかもしれない。

この本は2.3年前に買って、いわゆる積読状態だったんだけど
今の私にしっくりくる本だった。
積読いいね






ということを
2019年5月5日の私が書いていた。
タイトルもそのまま。

一番最初にnoteを始めたのはたしか、2015年くらい。日記のようなものだったけど
彼氏のことしか書いてない。

当時の彼氏というのが離婚した人なのだが
自分は浮気するくせに、
異常な執着と執念深さだった。


だからなんとなく
noteのアカウントがバレていて
彼氏に読まれている気がする…という
妄想に取り憑かれ退会してしまったのだ。


すったもんだの離婚後、
2019年にnoteを再開したけど全然書けなかった。

頭と心は感情と言葉で溢れているのに
それを文章にまとめて
捨てることができない。

そんな中一つだけ
なんとかまとめられたのが始めの方に載せた文章で、アカウントは削除したけど
嬉しくてスマホのメモ帳に残してる。



私はものすごく、執念深い女だ。
一度でもバカにされたら一生忘れないし
相手がどれだけ挽回しようと行動しても
決して許さない。


人を呪わば穴二つ、という言葉があるが
のぞむところだ。

あなただけが私以外の誰かとしあわせになるなんて許さない。



と、本当は思ってる。


おーー怖。
あーー気色悪い。

とも思う。
めちゃくちゃ思う。


呪って穴が二つ用意されるなら幸運だ。
その前に自分の思いに焼き尽くされ、
たった一人灰になってしまいそうな気がする。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?