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振り子は必ず戻ってくる

小説家の司馬遼太郎は、歴史の変遷を振り子に例えました。

片方に大きく揺れれば、反動で今度は逆側に大きく揺れる。

歴史とは結局その繰り返しなのだ、と。


ほんの2年前、「ニューノーマル」「新しい生活様式」などという意味不明な言葉が生まれ、日本中に広がりました。

これからの時代は、

・人同士が接することなく用事はすべてリモートで済ませるようになる。

・企業は都心一極集中を避け、地方に分散する。

・わざわざ現地に出向く旅行はなくなり、VRで体験するようになる。

メディアで「知識人」「文化人」「専門家」と持ち上げられる人たちが、一様にそうコメントしていました。

果たして、現実はどうなったでしょうか。

・企業がどんどんリモートをやめ、「コロナ前のように」社員を出社させるようになった。

・いったんは地方に分散した人・企業が、「コロナ前のように」都心部に回帰している(地方に分散すれば都心部の地価が下がったり空き物件が増えるので当然そうなる)。

・観光地やイベントは、「コロナ前以上に」どこも客が大勢詰めかけている。

はい、「知識人」「文化人」「専門家」の予想は、ことごとく大外れでした!


私自身は、「新しい生活様式」など一過性の(メディアが作り出した)いんちきブーム(幻想)にすぎず、反動で必ず「より濃密に人が触れ合う時代」が訪れると予想していました。予想というより、完璧に理解していた、というほうが正しいかな。

司馬遼太郎先生の鋭い「読み」どおりです。

そもそも、ヒトは触れ合うことで進化し、文化・文明を築いてきた生き物。
「生存本能」といってもいい。
そんな「本能」に反する行動様式が絶対に定着するはずないのは、人類学をちょっとかじった人間なら、たちまちわかることです。

「知識人」「文化人」「専門家」どもは、そろいもそろってモノを知らない大マヌケばかりでした。チャンチャン!


「パンデミック(もどき)」の反応は、ほかにもあらゆるところで現れそうですが、中でも

  医療不信

は最も厳しいものになるでしょう。
ここ数年のおぞましくて寒気がする悪夢のような「医療崇拝」の反動で、誰も医者に行かない時代になりそうです。
ワクチンも打たず、薬も飲まない。コロナに便乗した医師の地位は見る見る低下し、蔑まれるようになるでしょうね。

しかし、これもまた「歴史の必然」なのです。

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