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ニットの精は無理だった話

 ニット会社でモチーフを編む内職をしたことがあります。

 東京の高級なオーダーメイドのニット会社の下請けをしている、地方の零細企業の、花やレースのモチーフを編む内職の仕事です。
 内職の仕事を依頼されたり、出来上がったモチーフを届けに行ったりする間に、そこで働いているパートの人たちと知り合いになりました。
 お子さんがいらっしゃる若いお母さんたちと、目をつぶっていてもカーディガンを作れそうな年配の女性たちが6人。エプロンをひらひらさせながらつぎつぎにニットを作り出す様子ときたら!まさに、ニットの精のようでした。

 内職の仕事は、ものを作る喜びがあり、それを使ってくれる人が必ずいる(オーダーメイドなので。)という喜びもあり、時間の融通も利いて、良いと言えば良い仕事でした。
 専業主婦が、ちょっと社会とのつながりを持つには、便利な仕事。それで得たお金を貯めて、半年に1回、古くなったトースターくらいのものを買い換えられたりして、「わたしも少しは役に立ってるかな。」なんて思ったりしていました。

 ただ、わたしは編み物でも、毛糸らしいふんわりした手触りの、日常着のようなものが好きなので、ゴージャスなよそいきはどうも…。
 それと、もう一つ。残念なことに工賃がとても安いので、なかなか経済的自立は難しい。わたしが働いていたところでは、熟練した人が編める1時間の量を編んで300円。(わたしみたいな普通の人では、1時間ではまず編めません。もっと頑丈でパワフルな人でないと。最近はインフレで、ちょっとは上がったのかなあ。)
 1ヶ月、家事や育児の合間にかんばっても、せいぜい数千円にしかなりません。
 東京の有名なニット会社の、地方の下請けの中小企業の、さらに内職、となると、そんな感じです。
 サイズ通りに丁寧に編む作業はとても時間が掛かるので、これに多くの時間を割けば、他の仕事はできません。それで、わたしも、申し訳ないなと思いながらも、辞めてしまいました。
 辞めてからも、ときどき電話が掛かって、「編んでくれる人がいないから、ピンチヒッターでお願い!」ということも何度かあったから、きっとやる人が少ないんだろうな…。

 ただ、この仕事をして、わたし、何というか、世界観が変わりました。
 それまで100均で買ったものとか、失くしてしまったりしても、「まあ、100円で買えるんだし」なんて、軽く考えてしまっていましたが、「いや、あれを作った誰かがいるんだよね。」と思うようになりました。
 そして、これ、本当に100円でいいのかな…?、とも。もっと高くて良くないですか?
 そう思って周りを見渡すと、あれにも、これにも、…どんなモノにもサービスにも、わたしやあのニット会社の妖精さんたちのように、それを生み出すために時間をかけた人がいて、末端になればなるほど、安い賃金で一生懸命働いていたりするんじゃないでしょうか。

 使えるものを自分で作れた…。という経験は、家族や家計のことで漠然とした不安に駆られたり、世の中の流れに流されたり、次へ、次へ、もっと、もっと、と走り出してしまいそうになるわたしを、
「大丈夫、いざとなったら必要なものは自分で作ればいい。本当に買いたい、と思うものは、安く買おうなんてしないで、ちゃんとお金を払おう」と、落ち着かせてくれます。

 人より上手に作りたい、とか、目を引くものを作りたい、とか、あんなのもこんなのも作りたい、とかの趣味のものを作るのでは、変わらない気がします。これもまた、消費社会です(自戒を込めて)。
 そうではない、本当に使う生活のもの、日常のものを作って、大事に使うと、それがどんなに小さいものでも、自分がいかに消費社会で生まれ、育ってしまっているか、気がついてしまいます。欠かすことのできない大事な経験です。
 アクリルたわしを、1つだけ、作ってみたらいいよ、という根拠は、それかなあ…。
 
 

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