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シェアハウス

タイトルを決めるとものが書けなくなる事があるみたいだ。俺はこの記事を書く前にエヴァとシェアハウスとフロムをテーマにした記事を書こうとして風呂敷を広げまくったタイトルを作ったのだが、広げすぎた風呂敷を回収するのが怠くなって、1000字ほど書いた所で全てをデリートした。

俺はシェアハウスが好きだ。好きになる理由はいくつもある。
生活していて、ふとしたタイミングで人と会話が発生するのが好きだ。怠そうな顔でご飯を誘われるのも好きだし、その時考えていたことを同居人に話して整理することができるのも楽しい(要は壁打ち利用してるだけだから慎重に行わないといけないことではある)。
生活していれば問題も発生するが、実はそういうのも好きだったりする。以前住んでいたシェアハウスでは、朝方4時頃に同居人の女の子が泣きながら帰ってくることがあった。裸足で出て行こうとしたり自殺未遂をしようとしたり、もう大変だ。慌てて止めるし、話を聞こうとしたりもする。それで酔った勢いで文句を言われたり吐いたゲロを処理したり......。はっきり言って面倒事なわけだ。でも、そういうのも、今思えば楽しかった。
だって、他者と共に生きるってそういう事なんだもん。近い距離で共にいれば、当然怠いと思う事はあるし、面倒ごとに巻き込まれる事もある。でも、それはお互い様だし、俺だって面倒をかける。
それで良いんじゃないかって思う。
持ちつ持たれつ。
健全に機能してる共同体って、きっとそういうものなんだ。
楽しい思いだけができる人間関係なんてない。
......とか思っていたけど、今も思ってはいるけれど、結局、前のシェアハウスの人間とは持続的な関係性を作れなかった。
関係性は残らなかった。
寂しいね。

近年見た作品のチェンソーマンだが、デンジ・アキ・パワーのシェア生活には憧れがある。特にアキには特別感情移入をする。生活態度の悪いデンジやパワーに苦言を呈する様は、まるで前のシェアハウスでの俺だ。いつも掃除は俺がやりがちで、みんなは全然してくれなかったから。
でも、共に暮らしていると、面倒な同居人に自然と愛着を持ってしまう。アキも、俺も。
アキは同居人達から愛着を持たれていったが、前のシェアハウスでの俺は微妙だった。嫌われもしなければ好かれもしない。
現実はほろ苦い。
漫画のようにはいかないや。
愛着の一方通行。

チェンソーマンみたいな生活ができたら、夢が叶ったと言えるかもしれない。

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